禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅茶な人々 シリーズ3 佐藤先生 完結です。

禅茶ラジオのメイン企画「禅茶な人々」ですが,初の女性ゲスト佐藤妙水先生のインタビュー最終編が本日配信開始となりました。

 

取材は曇りがちな5月の日だったように記憶してます。

いつものようにご自宅までお邪魔しての突撃取材ですが,温かく迎えていただきお茶室でお抹茶とお菓子を戴いてからのインタビューとなりました。

 

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 < 佐藤先生ご自宅茶室にて 2021/05 >

 

2年ほどですが先生の弟子の末端に加えていただき少なくても月一回,多ければ市川道場北寮や,先生の自宅茶室での稽古にも参加したりして月に二度三度と先生からお話もして頂いていたつもりでしたが,改めてインタビューしてみると始めて聞くお話が多いのに驚かされます。

 

このポッドキャスト「禅茶ラジオ」を始めて気づいた事は毎週のように会って長年の付き合いがある方でも普段の会話では決して出てこない話があるということです。

 

インタビューとは言え,事前の打ち合わせは一切せずに,普段通りにおしゃべりしてくださいと言ってからいつも始めるんですがやはり似て非なるものなんでしょうね。

 

違いと言えばiphone一つをテーブルに置くだけなんですが,私のほうも尋ね方も微妙に影響受けるんでしょう。

これまで沢山会って話をした人ほどそのギャップに驚かされること度々です。

 

そういう意味でも今回の「佐藤先生」独占?インタビューも手前味噌ですが,とても良いお話が聞けたと思います。

まだお聞きでない方いらしたら一度お聞きくださいませ。(Ym)

 

<禅茶な人々は下記から聴取できますのでご利用ください>

Apple Podcast内の禅茶ラジオ

GOOGLE内の禅茶ラジオ

臨青僧オンライン坐禅会に宇野和尚さん登場!

以前に息子の法事でお世話になった曹洞宗の宇野全智和尚さんが本日の臨済宗青年僧のオンライン坐禅会に出演されていてびっくりしました。

 

さすが!オンライン。

宗派を超えたリンクまで始まっているんですね。

宇野和尚さんのご法話のうまさは曹洞宗でも定評があると伺っておりましたが坐禅指導も凄いです。

 

 

きっと今晩参加された方にもとても新鮮だったんじゃないでしょうか?

 

法話の様子は下記の書籍でもご覧いただけると思いますのでぜひお勧めします。(Ym)

 

 

 

【お知らせ】緊急事態宣言下での禅と茶の集い 日程について

ようやく千葉市コミュニティーセンターの対応が告知されました。

 

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上記のように蔓延防止法適応と同じ対応となりますので,これまで通り20時まで5階和室での活動を続けていきたいと思います。

 

下記に8月の予定と禅と茶の集いコロナ対策を再掲しますので各自,感染対策して自己責任でご参加ください。

体調不良の際のご参加はもちろん,ご不安な方はご遠慮なく欠席してもらって結構ですのでまずはご自身の御身大切にいただきますようお願いいたします。

 

8月 通常の定例会

 6日 18時~20時 輪読会、坐禅

13日 房総道場摂心につき休会

20日 18時~20時 輪読会、坐禅

27日 18時~20時 坐禅、大田先生のワークショップ

 

「禅と茶の集い」のコロナ感染対応      2020.06.28

1.禅と茶の集い参加にあたっては,参加者本人が自己管理していることを前提とする。

体調不良(熱っぽい,咳が出る)の際は,自主的に参加を控えるようにすること。

 

2.必ずマスクを携帯し,輪読会,ワークショップなどでは必ず着用する。

坐禅など無言の際は声を出す直日以外,マスクを外しても構わないが咳・くしゃみな ど出易い人は自主的に着用すること。

 

3.輪読会の会場は,当面の間* 大広間(和室)を用いる。

 

4.輪読会は間隔をとりながら着座し,発言していない際もマスクは常用する。

 

5.第1・3・5週の呈茶は当面の間* 休止として,お茶菓子代は徴収しない。

しかし各自飲み物の持ち込みは自由とし,熱中症・脱水への留意も怠らないこと。 また軽食など取られる際は,別室の茶室などを利用し手指衛生にも配慮すること。

 

6.当面の間* 禅と茶の集いの時間を短縮する。

各週とも20時までに終了できるよう心掛け,遅くとも20時30分までには退室すること。

また繰り上げ開始は,もともとの目的が時間短縮のため対応しない。

 

7.使い捨てマスクを予備費で購入し,忘れた人は実費で購入してもらうよう準備する。(1枚50円程度)

 

注:文中にある「当面の間*」については会長が会員に諮って決めるものとする

 

禅修行の階梯を考える(37)「禅と茶の集い」便り(318)

来月から一都三県が再々度,緊急事態宣言となることが決定された夜となりました。

第4週が祝日となったため2週間ぶりの禅と茶の集いですが,太田先生のワークショップでもあり9名参加と言う大盛況でありました。

 

一番うれしいのは今年の坐禅体験会に出席してくれたSkさんが定例会に初参加してくれたことです。

 

17時から早めに到着した会員による自主的な随座が始まり,太田先生が到着した後はガイダンス付きの坐禅ワークショップとなります。

今日は「数息観」→「凝念」→「身体感覚」と3段階の坐禅ワークを履修しました。

 

18時過ぎに会員が内揃ったところで「社会人の禅修行階梯を考える」テキストの続編が配布されました。

すでに103頁までは頂いていましたが,104~199頁までの大作で太田先生によると「これで一般公開分のテキストはお終い,私の遺言です」とのことでした。

「遺言なんて縁起でもない」といぶかる会員を前に,「寝付けない時,読むとよく眠れるよ」と冗談付きで相変わらずの太田先生です。

 

さてさてコロナ自粛下で,太田先生の筆は走りテキスト執筆はずいぶん進みましたが講義はまだまだ53~58頁と先は長いです。

 

本日の講義は「視覚の機能」について「立体視」「平行視」が中心となりましたが,それに先立ち「真空妙有」の話がありました。

この「真空妙有」とは一般の仏教用語としては般若心経の講義の際に次のように解説されることが多いようです。

 

「空」とは何もないという意味ではない。

すべてのものは厳然として存在しながら(妙有)、しかもそれらすべてが因縁によって生じた現象であって、それ自体に何らかの実体があるわけではない。(真空)

 

 

太田先生からは耕雲庵老大師の『新編 無門関提唱』「牛過窓櫺」を紹介して頂いたので,帰宅してから読んでみましたが優しい言葉ではあるけどまったく理解できない文章が続いております。

 

それもそのはず,調べましたらこの則は千七百とも言われる公案の中でも特に八大難透と言われているそうです。

 

老大師はこの章の文末に「真空妙有の総ざらいはこれくらいにしておく」とありますが,太田先生も耕雲庵老大師もお人が悪い・・・(Ym)

 

※来月以降の予定は追ってお知らせ予定ですが,会場の関係でしばらく休会の可能性もあることご了承ください。

その際は,慌てず騒がず自宅自室で坐禅の独習いたしましょう。

天台宗 阿(おか)和尚さんの坐禅指導とネット法話

7月20日にご紹介させていただいた新潮新書「不要不急」ですが,今朝の管長日記でも大々的に取り上げられておりました。

 

そのラジオの中で横田管長は「私個人的には、阿純章さんの文章が読みやすく、リズムが心地よくて、それでいて内容が深く考えさせられます。」と絶賛されており,私自身も阿和尚さんのお話が一番印象深く感じました。

 

 

天台宗は元々,禅をふくめ鎌倉六宗の母体とも言え日本仏教の源流にもあたるものだと認識しており,戒律はもとより坐禅も,念仏も,そして密教も守備範囲であり,幅広いお経を取り扱う仏教総合大学のようです。

 

とは言え天台宗の僧侶でありながら禅の魅力を伝えるのはなかなか大変だと思いますが,阿和尚さんの坐禅指導は天台宗というか仏教も超えた何か大きなゆったりとした坐禅指導でとても新鮮でした。

 

 

ぜひ皆さんにも阿和尚さんのご法話もお聞きいただきたいとご紹介する次第です。

禅と茶の集いとして,まず一番に聞いてもらいたいのはお茶のお話たくさんあるやはりこれ(↓)でしょう。(^▽^)/ >(Ym)

 

【特別寄稿】廻光会発足40周年にあたって

                              境田 格

 

1.廻光会40年の歩み

 

廻光会発足40周年を迎えるにあたりその歩みを平成14年私の入会以来保存している資料と記憶に基づいてたどってみます。

 

・昭和52年11月 

 

 

千葉市教育委員会社会教育課が主催する婦人学級において「日常生活と禅」と題する講座が開催された。

講座終了後、有志の要望により内田ふき先生(注1)を講師として女性のみの坐禅会「禅の市民グループ・廻光会」として中央コミュニティセンター内和室を会場として発足した。

 

「廻光会」という名称は「外にのみ向かいがちな心の光を自らの心に照らし返す」という意味で名付けられた。

活動の目的は「日常の喧騒の中で、仕事や家事に夢中で生活している私達にとって全てから解放され、自分というものを静かに見直す瞑想の環境と時間を持つ」というものであり、中央コミュニティセンターは願ったり叶ったりの施設でありました。

 

開催日は第二・第四火曜日の10時から12時の月二回。

 

内容は 一炷香の坐禅、読経(開経の偈、般若心経、観音経、四弘誓願文)、内田先生の推薦される本(注2)の講話を交えての輪読、そのあとの茶話会では新聞コラムの紹介等があり和気あいあいのうちにも充実したものでした。

 

ある時会員の一人から 内田先生に講義として「般若心経」「観音経」の解説を申し出たことがありました が、はっきりとお断りになりました。

 

今にして思えば「廻光会は教理を学ぶ場ではない、しっかり坐って自己と向き合え。それを日常生活に生かせ」とのお考えであったと知らされます。

 

この考え方・スタイルの基本は現在も変わらず受け継がれています。

 

・平成11年度  

 

社会情勢の変化にともなって女性だけの会から男性にも参加を 呼びかけ積極的な男性会員の参加をえて新生「廻光会」ともいうべき良い雰囲気で会の活動が滑り出しました。

 

・平成15年度  

 

会員数が増え常に12~15名が定例会に出席するようになり、 活動も軌道にのってきたので内田先生のお薦めもあり、4月の総会にて人間禅房総坐禅道場(以下房総坐禅道場)を借用して年二回の「一日静座会」を実施するこ とになりました。

 

「静座会」は10:00開始 15:20終了

 

・開始(日程、役位、 堂内作法の説明15分)

坐禅(45分)

・作務(55分)

・片付け(シャワー等30分)

・ 食事(30分)

・休息(15分)

法話(45分)

・お茶と反省会(20分)

・解散の順で 実施されました。

 

・平成16年度  

 

この年は「千葉の文化を語る会・禅と茶の集い・廻光会合同の 一日静座会」(参加者27名)が加わり「一日静座会」は年三回実施されました。

毎日新聞社の取材があり千葉版に会の紹介記事と写真が掲載されました。

 

・平成17年度  

 

17年4月の会員数が30人となり最多を記録しました、この年の「静座会」は合同および単独の二回が実施されました。

 

・平成18年度  

 

5月24日内田先生突然の帰寂。6月13日の定例会(20名出 席)で会の今後の進め方について協議、会の継続が決定されました。

7月25日房総坐禅道場にて「一日静座会」と内田先生49日の法要(参加者18名)を実施、 大友啓治さん(注3)から先生の若いころの話を聴く。11月に「合同静座会」 (参加者22名)を実施しました。

また大友さんが毎週火曜日(最終目標は毎日) はコミュニティセンターに行けば坐禅ができるようにしたいと提案された定例会 以外の第一・第三・第五火曜日にただ二炷香坐るだけの会が有志の参加をえて始まり、現在も継続しています。

 

・平成19年度  

 

4月の総会にて大友啓治さんを相談役とすることを決議。

年度後半はテキストとして芳賀洞然老師の講演テープ「茶禅一味」(大友さん所有)を 聴講するとともに会員で師範の資格をもつ清田恵子さんを先生として「お茶の基本作法」の実習を始めました。

 

この年は内田先生旧宅にて「一日静座会」を房総坐禅道場にて「合同静座会」を実施しました。

1月8日年初の定例会で大友さんの 講話(内田先生の残されたメモをもとに廻光会の歴史、内田先生の思い出、会名 「廻光」の由来、会の運営方針など)を聴講。

 

私の印象に残った内容としては内田先生が

「公共の施設でこのような活動ができることの有難さを大切にして継続していきたい。

そのため人間禅教団の活動と受け取られないようにすること。

例えば活動中の教団への勧誘や道号使用は禁止する。」

 とメモされていたことでした。

平成20年3月16日大友さん突然の帰寂。

 

・平成20年度  

 

4月の総会にて森本実さん(人間禅会員)を相談役として迎えることを決議。

「茶禅一味」のテープ聴了、「お茶会の作法」の実習が始まりました。

輪読のテキストは会員の合意で選ぶことになりNHK教育テレビ番組「こころの時代」のテキスト「道元の言葉」を採用しました。

「一日静座会」・「お茶会」を内田先 生旧宅および茶室「濯月庵」にて実施。

「合同静座会」を房総坐禅道場にて実施しました。

なお大友さん提案の「一・三・五火曜静座会」の平成19年度年間延べ出席者 は90人でした。

 

・平成21年度  

 

前年までの平均定例会出席者数が13人程度であったのに対し9人程度に減少。

内田先生旧宅にて「一日静座会」を房総道場にて「合同静座会」を実施しました。

森本さんは都合により相談役を辞退されました。 

 

・平成22年度  

 

入会間もない会員のためにテキストとして「坐禅のすすめ」を採用。

房総坐禅道場にて金峰庵老師の法話会に10名出席。

この年「一日静座会」は房総坐禅道場における「合同静座会」のみの実施でした。

地域新聞社の取材あり紹介記事と写真が掲載されました。

 

平成23年度  

 

テキストに「百歳の禅語」「ブッダ真理のことば」を採用。

総会にて年数回を茶道の稽古日とすることを決定。

房総坐禅道場にて金峰庵老師の 法話会に9名出席。

中央コミュニティ5階茶室にて初めての「お茶会」を実施し 11名が参加しました。

中央コミュニティまつりに「禅と茶の集い」「廻光会」で合同参加し坐禅体験教室を兼ね「合同静座会」を実施しました。

 

平成24年  

 

テキストに「ほっとする禅語」を採用。

房総坐禅道場にて金峰 庵老師の法話会に9名出席。

「禅と茶の集い」「廻光会」合同で中央コミュニティ まつりに参加「坐禅体験教室」を実施しました。茶道の稽古は5回実施しました。

「あさひふれんど」の取材があり紹介記事と写真が掲載されました。

 

・平成25年度  

 

総会にて定例会の静座は30分2回とすることに決定、新会員確保のため「坐禅体験教室」開催にあたり新聞への広報を復活することとしまし た。

茶道の稽古は4回、「廻光会」単独の「坐禅体験教室」を2回実施しました。

 

平成26年度  

 

テキストに仏教伝道協会刊行の八正道シリーズ「正しい見方・ 正見」を採用。

坐禅体験教室」実施、5名の参加があったが入会者なし。

茶道 稽古の一環として中央コミュニティ5階茶室での新年茶会および稲毛海浜公園・海星庵茶室での茶会を実施しました。

長年会長として会を導いてこられた 毛利久美子さん(平成3年入会)が退任され、新代表として境田(平成14年に 入会)が選任されました。

 

平成27年  

 

テキストに仏教伝道協会刊行の八正道シリーズ「正しいことば・正語」を追加採用。

2週連続の「坐禅体験教室」を実施し延べ9名参加うち4名が入会。

 

平成28年  

 

9月に2週連続の「坐禅体験教室」を実施したが地域新聞への掲載がなく参加者はなし、3月に追加実施(椅子坐禅も可を強調、地域新聞に掲載)し12名の参加のうち2名の入会者がありました。

また千葉市内公民館に会員募集ビラの掲示を実施し2名の入会者がありました。  

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上記以外にも40年の歴史のうちには平成7年のオーム真理教地下鉄サリンのあとには入会者が一人もないことがあったようです。

「廻光会」にとっての転機は平成11年女性のみの会から性別を問わない会に脱皮したことで、会の活性化と会員数の増につながりました。

 

順調に推移する歴史のなかで「廻光会」最大の危機は平成18年5月内田ふき先生突然の逝去と会の継続を申し合わせて歩みだした2年足らずの後、大友啓治さんという相談役を失った時であったと思います。

 

現会員のうち内田ふき先生および大友啓治さんから直接の指導・薫陶を受けた者は4名となってしまいました。

ただ大友啓治さんが発案されて始まった「第一、第三、第五火曜日静座会」は「廻光会」の正式開催日としてその遺志を受け継いで現在も継続中です。  

なおこの間「房総坐禅道場」には多年にわたり「一日静座会」会場の無料貸与、「法話会」への招待など多大なるご支援を頂戴したことに感謝しています。

 

平成29年現在会員は11名ですがほとんどが高齢者で、毎年開催する体験教室の参加者も同様です。

 

椅子坐禅、茶道の稽古、朗読本の選択、広報のやり方、会の運営方法など会員が話し合い工夫しながら会発足当初の活動主旨を受け継ぎ今後も「廻光会」の活動が途絶える事がないよう頑張っていきたいと思います。  

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注1:大正11年生まれ。群馬・千葉大学助手、同農村医学研究施設講師等歴任。医 学博士。昭和34年人間禅白田劫石老師に入門。「廻光会」発足当初から会の指導。 人間禅一等布教師、平成18年師家分上。

 

注2:「人間形成と禅」「数息観のすすめ」「合唱の精神」(立田英山著)、「禅者の人生観」「一行物」(芳賀幸四郎著)、「木に学ぶ」(西岡常一著)、「清貧の思想」「自分らしく生きる」(中野幸次著)、「93歳・私の証 あるがまま行く」(日野原重明新聞コラム)など

 

注3:昭和53年人間禅白田劫石老師に入門。人間禅哺教師、平成20年布教師。   

 

なお平成14年以前の出来事については「禅誌」に掲載された前会長・毛利久美子さんの「廻光会だより」を参考にさせていただきました。

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2.「廻光会」と私  

 

私が「廻光会」に入会したのは平成14年6月でした。

今その時の講座案内ビラを見返してみると「禅は哲学でも宗教でもありません。心を琢磨し正しい人間形成のための修行です。云々」とありましたが、勧誘文の内容に惹かれての入会であったとは記憶していません。

 

その頃の私は高校時代に国語の教科書で出会った論語の「心の欲するままに従って、矩(のり)を踰(こ)えず」の境涯に憧れを持っていましたので、柳宗悦南無阿弥陀仏」、西田幾多郎善の研究」などの著書の影響もあり本当の宗教に触れることによってこの境涯に近づけるのではと考えていたように思います。

 

入会当初は坐禅よりも内田先生の解説される臨済録の解説や推奨本の輪読の方に興味が向いていたように思います。

思い立って坐禅日課とするようになったのは入会後二年たった頃ですが確たる目標もなく漫然と坐っているだけでした。

 

平成17年の新年会で内田先生と直接話す機会があり「犬に吠えられたり猫に引っ掻かれたりしても許せるのに、不誠実な人間が許せないのはどうしてでしょう」と質問したところ「分別心があるからです」と答えられました。

その時は何をおっしゃっているのか全く見当もつかない境涯にありました。

 

先生が帰寂された後になりますが、真剣に坐禅に向き合い始めたのは平成23年か24年で新入会者の真剣な取り組みに触発されたためで、入会後10年も経ってからのことでした。

 

近頃やっと「坐禅」が「無分別心」を体得する有力な手段の一つではあるものの人生も残り少なくなったいま、死ぬまでに獲得するには相当の修行が必要と思っています。

 

最近一二年私の行っている町内会活動においてボランティアとして立派な肩書を持った人たちの不誠実・不正直な行いに遭遇しどうしても許すことが出来ません。

 

「無分別」になれず「我執」から逃れられない無力な自分を情けなく思います。

 

「心の欲するままに従って、矩(のり)を踰(こ)えず」に近づくには行住坐臥、日常生活において常に「無分別・無我」を心掛けることが求められるのでしょう。

 

私には程遠い境涯ではありますが、「廻光会」の良き同行と「坐禅」の助けを借りて生涯の目標として取り組んでいきたいと思っています。 (境田 格)           

新刊紹介「不要不急」

7/17の円覚寺管長日誌にあった「不要不急」が一昨日に発売され仕事帰りに書店で購入しました。

 

最近はネットでの購入が多くなったせいか久しぶりの書店カバー付きの本です。

タイトルが「不要不急」

不要不急と聞くと私Ymなどはすぐに細川和尚さんのお顔が浮かびますが,本の前書きを読んでみてあながち見当違いでなかったことに気づきました。

 

10人の僧侶の共著となっておりますが,現代仏教のスター全員集合と言う感じです。

トップバッターは横田老師,2番手は細川晋輔和尚さん,そして藤田一照和尚さん,阿純章和尚さんと続きます。

 

ちょうど今,阿和尚さんのところまで読み進んできておりますが,なんだかほんわりした文章に心休まります。

 

阿純章さんの章の要約は下記のユーチューブでもご覧いただけます。

 

 

今週は待ちに待ったオリンピック開催で,22日から4連休の方も多いことと思いますが,TV観戦に疲れたらふらっと本屋にでも散歩しこの本を手に取ってもらえればとご紹介します。

 

もちろん,近隣に本屋さんがない場合は下記からの購入でも良いと思います。(Ym)

 

 

「禅と茶の集い」便り(317)

7月16日は終業式のようで、 夏休みに遠方に出かける様子の親子がちらほら見かけた
 参加者4名
輪読は坐禅のすすめ 56から59ページ
会長から 正念工夫 不断相続 一行三昧の意味など、解説してもらう


前回同様に雑談に熱が入る 海外生活の話 老後の過ごし方など
随分と参考になった


今日は2回目の聖侍(しょうじ)となった。 禅堂の入り口に座って、 みだりに出入りしないようにとりしまりしたり、 出入りする者に許可を与えれのが役割だそうだ 慣れないと、緊張する


次回は休日で休会 第5週は太田先生のワークショップです(O u)

廻向会のご紹介

ご紹介が大変遅れてしまいましたが,禅と茶の集いには「廻向会」という兄弟サークルがあります。

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両サークルとも昭和52年発足の一般社会人向けの坐禅サークルでともに今年45周年を迎える千葉市の中でも現存する市民サークルとしては最古参だと思います。

 

改めてその活動をご紹介させていただきます。

 

当初は女性限定で,月2回午前だけの開催だったそうですが,途中から午後の開催日を増やし,性別関係なく参加できるようになったそうです。

(詳しくは下段の禅茶ラジオをお聞きください)

 

    廻向会

活動日 第1、3火曜日 9時45分~12時

     第2、4、5火曜日 13時~15時

 

会 費 第1、3火曜日の参加時のみ2百円     

     第2、4、5火曜日の参加時のみ百円                      

問い合わせ 

 

 廻光会(えこうかい)  TEL 043 278 7801           

 境田(さかいだ) Eメール ka.sakaidaアットマークgmail.com

 ※アットマークを「半角の@」に変更して送信ください。

 または直接会場にお越しください。

 

なお廻向会の境田会長はじめ常連の方々に「禅茶な人々」のインタビューもさせていただきましたので,いつもの禅茶ラジオからお聞きいただけます。(Ym)

 

  

「禅と茶の集い」便り(316)

令和3年7月9日、本日の出席者は5名。

 

本来は奇数月の第二金曜日は坐禅と懇親会だが、コロナ禍で開催自粛のため 輪読「坐禅のすすめ」と坐禅一炷香坐わる。

 

途中の雑談のなかで、躁鬱症の方を出席者全員が身の回りで見聞きしている事に驚いた。

心の病で離職したり、引きこもったり、自傷自死に至ったりする事例があるそうだ。

 

4、50年前(我々が若い時)はそんな事例はあまり知られていなかった。

(私が知らなかっただけか、マスコミが騒がなかっただけかもしれないが)

私はこういう問題こそ宗教の出番だと思う。

でも当事者にとって、教会やお寺に足を運ぶということはハードルが高いことだろう。

また、既成の宗教も含め、宗教は如何わしいという風潮が有る為、余計二の足を踏むだろう。

 

もし、悩む方から相談を受けたら、現代はネット社会なのだから、NPO法人(玉石混交だが)の相談窓口などの利用を勧めたらどうだろうか。

 

直接会わずに、気軽に相談できる。

これは当事者自身しか解決できない問題だからである。

 

最後、頭のざわめきを消して、静かに一炷香坐る。

次の懇親会の予定は9月で、是非開催できるといいなと楽しみにしている。(It) 

円覚寺チャンネル 1万人!おめでとうございます。

禅宗では「黙」が大切とされる中,円覚寺の先々代管長の朝比奈宗源老師はいち早く日曜説教会を開催し広く一般社会人にむけて説法し,また多くの著作も残されております。

 

またその源流をたどれば明治の今北洪川老師が在家への坐禅修行や女性信者への布教などに力を入れてきた経緯もあると思います。

 

そして令和となり,新型肺炎で人との接触が制限される中,大本山としては非常に迅速なオンライン対応をなさってこられたのが現管長であらせられる横田南嶺老師さまです。

それまでも毎月の日曜説教はユーチューブ動画として公開されていましたが,昨年4月からは「一口法話」「オンライン坐禅講習会」そして今年の1月7日からは毎朝,円覚寺ラジオ「管長日記・呼吸瞑想」が配信されております。

 

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そしてついに先ほど視聴が終わった「日曜説教」は,開始前にチャンネル登録者が9960名と表示されていましたが,たった今「1万人」と表記が変わりました。

 

横田管長さま,そして円覚寺チャンネルを作成し運営いただいている全ての方に,視聴者を勝手に代表し大声で届けたいです。

「登録者数一万人,

 おめでとうございます!!

 そして有難うございます。」

宗教の本性

つい先ほどまでユーチューブのライブ配信で横田老師の日曜説教「天に星,地に花・・・」を拝聴しておりました。

そのご法話の中でも今回紹介する佐々木閑教授の最新著作の「宗教の本性」のお話が冒頭にありました。

サブタイトルは ― 誰が「私」を救うのか ― となっており,腰巻には

死にゆく自分を支えるのは ― 神か,仏か,私自身か?とあります。

腰巻前面だけでもレジに直行しそうな魅力に溢れておりますが,中身ももちろん充実しており,購入して通読し先週の禅と茶の集いでも皆さんに紹介しました。

 

この本の前半は『サピエンス全史』の宗教の定義や,一見すると無宗教者が多くなってきている現代の隠された新宗教を分かりやすく紐解きます。

 

またノーベル賞受賞一歩手前で逝去された戸塚洋二さんのがん宣告を受けてから死ぬまでの日々の心境や生活を記録するブログも引用されながら一人称としての「死」に向き合った際の宗教についても語られます。

 

中でも

「現代に生きる私たちは、この世の幸福を存分に味わいながら「死にたくない」という思いをひきずりつつ死の深淵へと歩かされている「不幸な幸せ者です。」

 

という言葉にはドキッとさせられました。

 

科学の叡智を持っても,どんな文明の発達をもっても「気持ちよく死ぬ」「喜びをもって死ぬ」ことは現代では出来ないという指摘にも大きく頷いてしまいました。

 

ここからはYmの私論ですが,世界大戦後からは政教分離で,公教育からは宗教は締め出されましたが,それが却って宗教への無関心,知識不足へと繋がりオーム真理教や統一協会などに入信する若者を助長してしまう結果となり,現代こそ正しい宗教知識,モラルを持つべきであり若い世代の方々へ教えるべきものだと思います。

 

現代日本でもし宗教教育が始まるとするならこの「宗教の本性」はまさにうってつけの教科書だと思います。(Ym)

 

泰惇和尚さん,良将和尚さん ダライラマ法王の前での読経

個人的にですが5年に1度の一大プロジェクトが一段落して,久しぶりに肩から力が抜けているYmです。

 

今までであれば職場の打ち上げができるのですが,先日の報道にもあるように8月22日まで東京は緊急事態宣言,千葉も蔓延防止措置が継続となりましたのでそういう訳にも参りません。

 

そうした中,3年前のユーチューブで思わぬお宝動画を発見しました。

まるで仏さまから「よく頑張ったね」とご褒美を戴いたような気分です。

 

2018年の1月にダライラマ法王がインド、ブッダガヤのティーチング(講習会?)に訪れた際に,日本人の僧侶と信者の方々10名弱が,法王の前で日本語の般若心経を諷誦する動画です。

 

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右側でマイクを持たれている僧侶が清水良将和尚さんで,左列で木魚を叩かれているの泰が加藤惇和尚さん,そして中央の上段に鎮座ましますのがチベット仏教ダライラマ14世です。

 

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今よりちょっとお若くて,痩せていらっしゃるような。(^ー^)

 

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泰惇和尚さんが法王と握手する直前の写真です。握手する瞬間は法王のお顔が隠れてしまうので直前をご紹介しました。

 

実際の動画はりょーしょーチャンネル(YouTube)からご覧になります。(Ym)

 

 

 

 

 

 

禅茶な人々 シリーズ3 佐藤先生

毎週日曜配信しております禅茶ラジオですがシリーズ3作目は,初の女性ゲスト。

かつて私の茶道の師匠であった佐藤妙水先生です。

ラジオをお聞きいただくと佐藤先生のお人柄が随所に現れており,公開前にも何度も聞きなおしてますますその魅力に浸る思いでした。

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佐藤先生の禅との初遭遇は来週配信予定の第2話で出てくるのですが,ご出身の栃木県黒羽町(現大田原市)の雲巌寺の管長さまというお話でした。

雲巌寺」というキーワードに「あれ?どこかで聞いたぞ」と思いながらもしっかりと思い出せず,帰宅してから古い円覚寺の日曜説教の動画を調べてみました。

 

 

すると平成28年(2016年)1月の法話に「雲巌寺」のお話がありました。

再度その法話をお聞きしてビックリしました。

 

きっと佐藤先生が「雲巌寺の管長さま」と呼ばれている方は雲巌寺第58世住職の植木憲道老師だったと思います。

 

植木老師は長く妙心寺で修行され,雲巌寺に入られてからは修行僧だけではなく多くの人々に寺を開放し,県内各地に出向いて法話をなさるなど教育熱心な方だったそうで地元の町民からは仏様のように慕われ,尊敬されていたそうです。

そして日曜説教の最後にご紹介されたのが植木老師が97才の時に書き残された詩です。

 

「死に直面して

 

一つ,もっと親切でありたい

一つ,もっと正直でありたい

一つ,もっと真面目でありたい

一つ,もっと寛容でありたい」

 

日曜説教動画で横田管長さまも仰られてますが,97才にして生き仏のような完成された人格者であられた植木老師が死に直面して尚,このような思いがありえる凄さに身が縮まります。 

 

佐藤先生が初めて出会われた禅僧であり,小学校の入学式や卒業式での植木老師のわかりやすい法話を直にお聞きして感動されたというエピソードもインタビューの中で語られていますが,小学校の教諭を目指された遠因ともなっているように思えました。

 

そして佐藤先生が禅に出遭われたのにも雲巌寺にご縁を感じます。

と言うのも雲巌寺の開祖は「仏国国師」という方で,円覚寺の開祖「仏光国師」の一番弟子であり,そして庭園などでも有名な「無夢国師」の師家にあたる方で,その円覚寺の法脈を継がれた釈宗括老師が開かれた両忘会,そして人間禅に繋がっていると思えば佐藤先生が「禅」と出会われたのは偶然ではなく必然だったんだろうなぁと思いました。(Ym)

<禅茶な人々は下記から聴取できますのでご利用ください>

  

「調身」と「調息」の技法を応用したストレス・マネージメントのプログラム

※禅茶ラジオシリーズ1完結を記念して第9・10話にも登場した花園大学での太田先生の学会発表論文をここに掲載します。

 

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Kyoto Conference 2006 Self and No-self in Psychotherapy and Buddhism

            May 16-19,2006 Hanazono University

 

2006年5月17日(水) 午前9~12時

PanelⅢ Self and No-Self: The Psychological, Psychophysiological. and Developmsntal Correlates of Meditation

 

「調身」と「調息」の技法を応用したストレス・マネージメントのプログラム

   太田東吾 千葉県千葉リハビリテーションセンター 医師

 

参加者の動向  

著者は、1978年以来、千葉大学や千葉リハビリテーションセンター及びその関連施設等で「調身」と「調息」の技法を応用したストレス・マネージメントのプログラムを実践してきました。  

合計5時間から15時間を4,5回に分け、ワークショップ形式で、参加者は310名でした。  

参加者の内訳は、千葉大学の学生210名、千葉県医療技術大学校の学生40名、千葉リハビリテーションセンターの研修医又は職員50名、強迫神経症又は心因性無声症の患者10名です。  

参加者の到達レベル(詳細は後に述べます)を学生、研修医又は職員、患者さんのグループ別にして表に示しました。310名の中で195名(63%)の方が「止」のレベルに達しています。 プログラムの基本的な考え方  このプログラムを支えている基本的な考え方を以下に述べます。  

第一は、人の脳が対象物を認識する過程を、感覚と認識の二段階とします。特に認識の過程では生後、家庭・学校・社会等でいろいろと経験し集積されたところの、イメージ化又は言語化される宣言的記憶によって強く影響されます。  

例えば、我々は胃炎や胃潰瘍や初期の胃癌による胃の痛みを、内臓感覚レベルでは同じように感じています。しかし一旦胃癌と診断されたとたんストレスの増幅が大きくなる事を日常的によく経験します。  

同一の刺激であっても個人差によって、あるいは同一個人でも状況によって、認識の段階では異なった意味を持つのです。  第二は、感覚と認識との連携の強弱によって勘定情報を「目・耳・鼻等の遠感覚器官からの感覚情報」は、感覚から認識へと瞬時にして結びつくように強化され発達してきました。このような遠感覚器官からの感覚情報を第一のグループとします。  

 

一方、内臓感覚、温・冷・痛・触の皮膚感覚、筋肉や腱の固有感覚、更に味覚などを第二グループとします。  以上の事を言い換えますと、第二グループのほうが、操作的には感覚の領域に留まり易く、それによって宣言的記憶を一時的に棚上げすることが容易になっているといえます。  

例えば朝の寒いとき起床前に布団の温もりを暫し味わっている状態やサウナ風呂に入っている時余念をまじえず、じーっと熱さに対している状態を想像してみてください。

 

禅の修行体系とストレス・マネージメント  

前述の様な脳科学的知識がない時代、インドから中国・朝鮮半島更に日本へと伝来した禅の修行体系は、長い年月の間に独自の人間形成の為の体系ⅺへと発展してきました。  このような禅の修行体系から得られた知見の一つにストレス・マネージメントの鍵になると思われるものがあります。  

如何なる禅の達人といえども、戦乱や災害等の外部からのストレッサー及び癌等の身体内部からのストレッサーに対しては如何とも仕様がありませんが、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができるという経験的事実がそれです。  

 

戦乱の中で、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができた例としては無学祖元禅師、胃癌に苦しみながらも、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができた例としては山岡鉄舟居士があげられます。  

 

無学祖元禅師(1226~1286)中国 南宋時代の禅僧 1275年 元の軍隊が禅師に住しておられた温州の能仁寺に乱入してきた時、禅師は坐禅をされていました。元兵が禅師の首に刃を当てた時、やおら坐禅を解いた禅師は紙と筆墨とを求めて従容として遺偈 したためたのです。

乾坤無地卓孤筇  乾坤 孤筇を卓する地無し

且喜人空法亦空  且喜すらくは 人空 法亦空なることを

珍重大元三尺剣  珍重す 大元三尺の剣

電光影裏斬春風  電光影裏に 春風を斬る

   

これを見ていた元兵の隊長が禅師を解放したとの事です。

後に禅師は鎌倉幕府の執権北条時宗の招きを受けて来朝し、時宗の参禅のとなりついで鎌倉円覚寺の開山となられたのです。  

 

山岡鉄舟居士(1836~1888)徳川幕府15代将軍慶喜の臣、後に明治天皇の侍従となる。1868年の江戸城無血開城に功あり。

剣は北辰一刀流千葉周作に学び、後に無刀流を案出する。禅は天龍寺の滴水禅師等の下で修行された禅の達人です。  

鉄舟居士は晩年、胃癌に病み「腹張って 苦しきなかに 明鳥」の句を残されています。

 

「調身」と「調息」  意識野についてウィリアム・ジェームズは、「意識野の中心」「意識野の周辺」という概念を提案してます。ⅻ  

 

例えば学生時代のことを思い出してください。

講義中に本来ならば先生の話が「意識野の中心」になければならないのに、いつの間にか放課後の友達との約束が「意識野の中心」にきて、先生の話が「意識野の周辺」に移ってしまったということを経験されたでしょう。  

 

本論文において「調身」とは、人が身体を動かすときに特定の部位の感覚をウィリアム・ジェームズのいう「意識野の中心」に定めて保持することによって宣言的記憶を制限又は遮断する技法であり、「調息」とは、椅子に座って、あるいは「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」による呼吸運動のみに集中して宣言的記憶を制限又は遮断する技法です。それぞれ天台智顗大師以来使用されてきた伝統的な定義と異なっています。xⅲ

 

「調身」を応用したプログラム

 「調身」を応用したプログラムの第一は歩行訓練です。  

その1、各自の個性で歩行してもらいます。  

その2、眼は真っ直ぐ正面を見、顎を引き、腰を伸ばし、足は踵からしっかりと大地に降ろし、大地からの反発力を脳に十分に伝えながらの歩行です。足が大地と接する際の感覚を「意識野の中心」に定めて保持する事によって宣言的記憶を制限又は遮断するのです。時には靴音を利用するのも良いものです。この方法は一般的には軍隊や警察等で応用されています。  

その3、両手指で空気の流れ又は風を感じ、その感覚を「意識野の中心」に定めて保持しながらの歩行です。人は頬で風を感じやすいのですが、この場合は両手指で感じることが要請されます。歩行の速度はとてもゆっくりとなります。  

日常的には試験や一仕事が終わり、ゆったりとした気分で家路に帰るという状況でしょうか。  

その4、右手の第1指と第5指とを軽く接してリングをつくります。この時他の3本の指は軽く開いています。 この右手の第1指と第5指とのリングの微かな感覚がどの様な物かは、右手の第1指と第2指とを軽く接したときと比較してもらいます。右手の第1指と第5指とのリングの場合は、より窮屈さ、不安定さ、より弱さが感じられます。この窮屈さ、不安定さ、より弱さの感覚を「意識野の中心」に定めて保持しながらの歩行です。歩行の速度は、風を感じながらの歩行に似て、とてもゆっくりとなります。しかし口元の表情や全身から悲しみが感じられます。  

 

「調身」の第二の訓練は発声です。    

その1、文章を読むか又は自己紹介の形で各自の個性で発声してもらいます。  

その2、腹から(腹筋が動いているのがはっきりと感じられる位に)の発声です。

速度は一定となり、一語一句更に語尾が明瞭となります。腹からの発声が困難な場合は、足の裏に意識を持っていくようにしてみます。  

その3、胸からの発声です。

胸郭を広げて発声しますので、声は横に広がり、少しぼやけます。  

その4、口からの発声です。声の質は軽くなり、速度は速くなります。  

その5、鼻からの発声です。声は鼻を抜けるようになります。  

その6、頭の頂上からの発声です。話している本人も聞いている人も不安定になってきます。アジテータがよく用いる方法です。  

その7、目頭からの発声です。弱々しく悲しみを帯びた声になります。  

その8、右手の掌からの発声です。

話している本人も聞いている人も穏やかな雰囲気になります。この様な発声を保持している時には怒ることはできません。右手の掌からの発声は、怒りを抑えるための大きな力を有しているともいえます。もし右手の掌の発声が困難な場合は、右手の第2指を第3指の上に軽く重ねて、その感覚を保持しながら発声します。  

その9、咽からの発声です。これは極めて特殊な発声方法といえます。

試しに咽を意識して「ア」と声を発してみてください。音が詰まって声が出なくなり、苦しくなります。心因性無声症の人によく見られます。  

 

以上が発声の訓練です。激しい対立に満ちている現代社会に生きている我々にとって、手からの発声は極めて重要なもののように思います。

 

「調息」について  

「調息」には「数息」「随息」「止」の三段階があります。  

浅学の筆者には、はっきりとは解りかねますが、「数息」「随息」「止」という用語は天台智顗大使によって広まったものと思われます。  

関口真大によれば天台智顗大使撰述の『禅門修証』やその要略本である『天台小止観』は、インドの禅の思想、すなわち諸経論のなかに現れている諸般の禅の法門を、あるがままに忠実に刻明に深浅高下の秩序に整頓したものである」ⅹⅳとのことです。  

 

本論文では「数息」「随息」「止」の歴史的展開や古い時代の定義を棚上げにして、以下のように定義しておきます。  

「数息」とは、特定の部位の身体感覚を「意識野の中心」に定めて保持し、その感覚を利用して呼吸の出入を行い、この呼吸に合わせて数を数えるという技法です。

 

ここでは陳述的記憶の中でも最も単純な「数える」という事と身体感覚とによって、より複雑な陳述的記憶を制限又は遮断しようとしています。  

 

「随息」とは、特定の部位の身体感覚を「意識野の中心」に定めて保持し、その感覚を利用して呼吸の出入を行う技法です。ここでは身体感覚によって、最も単純な宣言的記憶(息を数えるという事)さえも制限又は遮断しようとしています。  

 

「止」とは、只々「赤丸」に意識を集中して呼吸を行う技法です。

 

「調息」を応用したプログラム  

 

「調息」を応用したプログラムには第一から第四まであります。

初心者でも進度を自覚しながら短期間に最後の段階へと達することができるように、このプログラムは開発されました。  

第一は、「三つの30の行」です。  

その1、参加者は、脚を肩幅くらいに広げ、腰を伸ばし、椅子に掛けます。手の組み方は、右手第1指と第2指とでリングを作り、左手の第1指を右手のリングの中にいれ、右手を下、左手(第1指を除く4本の指)を上にして、下腹部に当てます。(この手の組み方は、岐阜県臨済宗正眼寺等で指導されています。)

両手が重なった部分の感覚(暖かみ等)を「意識野の中心」に定めて保持します。呼気の時には、両手の重なった部分の感覚を利用して息を1から30まで数えます。吸気の時には、両手の重なった部分の感覚を「意識野の中心」に保持してますが、息は数えません。  

 

その2、脚の位置は前述の通り。

腰を伸ばしながら、上半身はやや前傾し、両手を両膝の上に覆いかぶさるように置きます。両手と接触した両膝の暖かみ等の感覚を「意識野の中心」に定めて保持します。呼気の時には両膝の暖かみ等の感覚を利用して息を1から30まで数えます。吸気の時には、両膝の感覚を「意識野の中心」に保持してますが、息は数えません。  

 

その3、脚の位置は前述の通り。

上半身を通常にもどし、腰を伸ばし、顎を引き、両手を両股の上に置きます。両手と接触した両股の暖かみ等の感覚を「意識野の中心」に定めて保持します。呼気の時には両股の暖かみ等の感覚を利用して息を1から30まで数えます。吸気の時には、両股の感覚を「意識野の中心」に保持してますが、息は数えません。  

 

この「三つの30の行」では、呼気の際には「数息」、吸気の際には「随息」が体験できます。更に呼気吸気共に息を数えないで身体の感覚のみで陳述的記憶を制限又は遮断することができるようになれば、参加者の「随息」は初期段階に達したといえます。

 

 第二は「三つの内言語法」です。

脚の位置は前述の通り。手の組み方を「法界定印」にします。

意識する部位は吸気の時は内言語によってそれぞれ異なりますが、呼気の時には後に述べる「赤丸」になります。息は数えません。  

 

その1、ナー・ムー法  

吸気の時に声を出さずに、「ナー」と「命門」に、呼気の時には声を出さずに、「ムー」と「赤丸」に意識します。  

その2、アー・ウー法  

吸気の時に声を出さずに、「アー」と「雲門・中府」あたりに、呼気の時には声を出さずに、「ウーン」と「赤丸」に意識します。  

その3、オー・ンー法  

吸気の時に声を出さずに、「オー」と「内迎香」に、呼気の時には声を出さずに、「ンー」と「赤丸」に意識します。吸気の時に「内迎香」では、微風が通るような微かな感覚を大切にします。  

 

坐禅の時、スースーと音がしたり、ハーハーと喘ぐようになったり、あるいは息が苦しくなるような人は、「三つの内言語法」特に「オー・ンー法」を体得してみてください。  

「法界定印」、「赤丸」、「命門」、「雲門・中府」、「内迎香」更に次の項の「水溝」などは画像を参照してください。  

 

第三は「赤丸」と他の部位との重畳です。

重畳とは畳を重ねるように、呼気・吸気共に「赤丸」と他の部位を同時に感じています。この段階から可能ならば足の組み方は「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」にしてください。手の組み方は「法界定印」です。この段階に至ると、その人は「随息」の後期段階に達したと言えます。  

 

その1、「水溝」と「赤丸」との重畳です。

前述の「内迎香」という部位では香を嗅いだり、空気の流れを感じたりしますが、いずれも吸気の時にしか感じられません。これに対して「水溝」は呼気・吸気共に意識できる部位です(特に室温が摂氏5度以下になると)。

このようにして、呼気・吸気の時「水溝」と「赤丸」の感覚を同時に「意識野の中心」に定めて保持しながら、宣言的記憶を制限又は遮断するのです。  

 

その2、「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」が可能な方の場合です。

「赤丸」と「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」の時挙げた足のアキレス腱又は脹脛で体の中心線上に来る部位との重畳です。二つの部位の感覚を同時に「意識野の中心」に定めて保持しながら、宣言的記憶を制限又は遮断するのです。 第四は、只々「赤丸」に意識して呼吸します。足の組み方は、可能ならば「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」にしてください。手の組み方は「法界定印」です。

この段階に至ると、「洗心」という言葉がつくづくと身に沁みて感じられます。この時、人は「止」の段階に達したと筆者は考えています。

 

「赤丸」について  

本論文では、これまでの禅の歴史の中では言及されてこなかった「赤丸」という部位を新たに提案しました。  

場所は、手の第1指と尺骨側の爪の先端部と皮膚との境、針等の極細い物を摘まむときに用いられる所です。

この部位には経穴(ツボ)名が付いていませんので、筆者の命名によるものです。この部位に意識しますと、局所的な拍動、暖かみ、しびれ、時には痛みをも感じられるようになります。

このような局所的な拍動、暖かみ、しびれ、痛みを「意識野の中心」に定めて保持しながら、呼吸に集中します。  

 

「赤丸」を提案した理由を以下に述べます。

1、組み手を「法界定印」にした時、この部位は身体の中心線上に位置するため、意識するのが簡単であること。

2、この部位は、針等の極細い物を摘まむときに用いられる所で元々極めて敏感な場所であること。

3、両親指の接点を「赤丸」にすると、両親指は自然と「臍下丹田」へと向かい且つ局部に集中することによって、眠気に対抗する力が強まること。

 

結語  

独自の人間形成の為の体系と発展してきた禅の修行体系の中で、ストレス・マネージメントの鍵になると考えられるのは、感覚と認識とを分離する技法の習得と考えられます。人は感覚の領域に留まる訓練によって、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができるようになります。  

 

筆者は、参加者が最終段階の「止」のレベルに達し易いように、「調身」と「調息」を応用したプログラムを提案しました。

 

手の組み方は「法界定印」にして、従来注目されていなかった「赤丸」に意識を集中することによって「止」の体得が容易にできるようになります。(足の組み方は「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」にするのが理想的ですが)  

 

実際に、このプログラムもよって参加者の63%が短時間に「止」の体得ができるようになりました。筆者はこのプログラムがストレス・マネージメントの有力な一つになると考えています。  

 

しかしこのような評価は筆者から見た主観的な評価であって、今後は種々の尺度などから客観的評価が必要であると思います。

 

参考文献

1 立田英山著「人間形成と禅」(人間禅教団 出版部)

1 Wiooiam James "Talks to Teachers on Psychology and to Students on Some of Life's Ideals"

1 関口真大訳注『天台小止観』(岩波文庫