禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅カフェ 「禅と茶の集い」だより(116)

梅雨に入ったのにあまり雨は降らず暑い日が続いています。
今日は禅体験教室の第3回目、テーマは「禅と茶」です。
 
今回は、あまり難しいお茶の話はせずに、お茶の飲みながら禅やお茶について気軽に語り合おうという趣向です。
ちなみに「禅カフェ」と呼んでいます。
 
まずはお菓子をいただきながらお茶をいただきました。
お菓子は小川さん手作りの「ういろう」でした。
お茶は冷茶でいつもとは一味違う味を楽しむことができました。
 
亭主の森本さんからはこんな話題が提供されました。
 
人間性の封印としての坐禅
文字を見たときは、一瞬、なんだこれは? と思いましたが、少し説明を聞くとなーるほどと思いました。
 
人間をほかの生き物と区別する特徴として、(1)立って歩くこと、(2)手を使うこと、(3)言語を使うこと、(4)抽象的な思考活動があげられます。
 
坐禅とは、このすぐれた能力を一時的に棚上げすることで、坐禅の姿勢は人間をちょっと一服した姿ということです。
 
確かにお茶も、一服いただくと言いますよね。
忙しい日常生活の中でお茶を飲むのは、そこで日常生活を少しの間棚上げするというですね。
 
しばらくこの話題で盛り上がりました。
太田先生の坐禅ワークショップでも同じようなことはよく言われます。
 
この後も、見性成仏といことを目指す臨済禅の立場からの話とは一味違った曹洞宗の只管打坐の立場など、いろいろな話が出ました。
たぶんどちらでも最後は同じだろうといういう話で落ち着きましたが、初心者にも参考になる、もしくはちょっと難しい話も出ました。
 
最後に、高田敏子さんの「ベンチ」という詩の紹介がありました。
 
   ベンチ
 
 母と子と
 一日じゅう しょっちゅう
 話をしているようでも
 ほんとうの話なんて
 あんがい していないものです
 だから 買物の帰りみち
 おせんたくのすんだあと
 ほんの十分間でも
 こうして家のそとにでて
 話をしてみましょう
   そのために
   やさしい木かげがあるのです
   そのために
   あいたベンチがあるのです
  
この詩の、「木かげ」と「ベンチ」を座布団に読み替えて坐禅をしてほしいというとのことでした。
 
 
来週は、「脳科学と禅」というテーマで、禅歴50年、現役精神科医の太田先生に話をしていただきます。
たぶんワークショップ的な時間になると思います。
 
どうぞお楽しみに。
 
来週だけ話を聞きに来ることもできます。
 
お待ちしています。
 
 
義存
 
 
「禅と茶の集い」について詳しくは、コチラ
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com