禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

調息山六合目 見晴台で大休止・・・洗心を味わう・・・重畳法 6、7、8、9、10、そして(息の呼吸)・・・随息の後期 4

  ○呼気・吸気共に、「赤丸」と上になった足のアキレス腱又は脹脛(ふくらはぎ)で身体の中心線上にくる部位とに繋意

*半跏趺坐でも結跏趺坐でも可能です。

*舌の位置は、「ル」又は「ツ」に近くなります。    

*半跏趺坐の方は、次の3つは左右の足心及び失眠の位置に高低差があるため、アンバランスとなり、繋意は難しいので、残念ですが飛ばしてください。但し可能ならば重畳法10と「息(そく)の呼吸」に挑戦してみてください。

  ○呼気・吸気共に、「赤丸」と両足裏全体とに繋意    

*これは次の2つ、両足心と両失眠への繋意がやや難しいので、これから試してみてください。    

*結跏趺坐の方が、この技法に入るためには、一旦六合目 重畳法 5の赤丸と両脛を結んだ線とに繋意、に戻ります。そして赤丸の繋意はそのままにして、徐に両脛のほぼ中央部から、2本の幅広のゴムが伸びて行くような感じで、両足裏全体に繋意します。    

*この重畳法7と、以下二つの重畳法8,9では、⑩で述べました「押し込む 赤丸」が適しています。試してみてください。    

*舌の位置は、「ル」に近くなります。


  ○呼気・吸気共に、「赤丸」と両「足心」とに繋意

*結跏趺坐の方、前の重畳法7に慣れてから、赤丸と両足の土踏まず(足心)とに重畳します。    

*日常世界に於ける心の垢を洗い流す感覚をかなり体得できますが、失眠へ繋意する技法ほどではありません。    

*舌の位置は、「ヌ」に近くなります。    

*呼気・吸気共に赤丸と両足心とに繋意しようとした時、陥りがちな穽があります。
⑬で述べました下半身の鉢巻効果に影響されて、両足心の感覚が拡散していきますと、下半身全体が程よい緊張感を醸し出してきます。赤丸も又この感覚に同化していきます。この時、下半身全体が丸い湖面になったかのように広がっていき、精神状態があたかも「風がソヨとも吹かぬ湖面」のような静かな状態になります。
このような精神状態に至ることが、「心を安んずる」ことであり、坐禅の目的ではないかと、つい思いこんでしまうことがあります。
これも又繋意の部位が誤っていることからくるものです。
このような時には、赤丸と両足心の3点に強く繋意してみてください。更に次の技法に進むとよいでしょう。

  ○呼気・吸気共に、「赤丸」と両「失眠」とに繋意
   
*結跏趺坐の方、赤丸と両足の踵(失眠)とに重畳します。    

*失眠は繋意しにくいので、前項の赤丸と両足心との重畳を暫く続けた後、吸気の時には赤丸に、呼気の時には失眠に繋意し、暫くしてから二つの部位の重畳を図るとよいでしょう。    

*初冬の晴れた朝、適度の冷気によって全身が包まれる時とか、深山渓谷で清々しい空気を胸一杯吸い込む時とかに、「洗心」ということを感じることがあります。
この坐禅によって「洗心」という状態を味わうことができますが、この状態を持続するためには、一寸したコツが必要です。
「洗心」の時には、只々「洗心」の状態を保つことが重要です。「アッこれが洗心なのか!」とか「今洗心の状態にある」と思った瞬間、「洗心」の状態からずれてしまうからです。
⑮で述べました「思い出すよじゃ 惚れよが薄い 思い出さずに 忘れずに」という俚諺の意味がここで明確になるでしょう。「思い出す」というのは、気が付く(思考が働く)というレベル(別稿『脳科学の成果より』で述べられた大脳辺縁系に集積された陳述的記憶が働いているレベル)にあるということです。一方「思い出さずに 忘れずに」というのは、体性感覚のままに止まっていて、大脳辺縁系が関与していないレベルにあるということです。
     
ですから如何に大脳辺縁系の働きを棚上げにし、代わりに体性感覚に繋意し続けることができるか、ということが重要だということになります。一旦「洗心」の状態からずれてしまった場合、吸気で赤丸に、呼気で両失眠に繋意してから徐々に赤丸と両失眠とに重畳し、更に命門を意識して腰を伸ばしてみてください。        

*赤丸と両足心または両失眠の時だけに「洗心」という表現を使用しましたのは、足心や失眠は他の部位に比べて繋意しにくい(その分、中核自己の領域に深く入っていることになります)からなのです。あたかも短波放送で海外放送を聞いている時、なかなか音波を保持するのが困難なように、この部位は元々繋意しにくい所なのです。又両方の足心または失眠への繋意が、同等でなくてもあまり気にしないでください。(既述のように、保冷剤を当てることも試みて、繋意のコツを掴んでください)    

*先師磨甎庵老漢は「痴(愚・おろか)」ということを重要視されていました。最近私は赤丸と両失眠とに繋意する坐法のたびに、先師のいわれた「痴(愚・おろか)」をしみじみと味わっています。

*『荘子』の中の「至人の息(いき)は踵を以ってす」という言葉が、色々な意味で身に沁みてきます。

*舌の位置は、「ニ」に近くなります。しかし{押し込む 赤丸}という坐法では、「ムーウー」という感じでしょうか。    

*呼気・吸気共に、赤丸と両失眠とに繋意している時、呼吸が浅くなってしまうことを感じられた場合、次の技法に進んでください。

 ○呼気・吸気共に、「赤丸」と上になった足のアキレス腱又は脹脛(ふくらはぎ)で身体の中心線上にくる部位とに繋意。そして身体を前傾し、法界定印を少し前に置く。重畳法10、その後「息(そく)の呼吸」へ

*半跏趺坐及び結跏趺坐の方、まず重畳法6に戻って、赤丸と上になった足のアキレス腱又は脹脛で体の中心線上にくる部位とに重畳してください。
*そして尾骨から命門までをやや前傾姿勢にし、命門から上は直立になるようにします。次いで法界定印を両腕ごと少し(3〜5cm位)前の方にずらします。勿論繋意の部位は、上記の重畳の2点です。

*横隔膜が、楽に上下する感じを味わってください(特に呼気の時)。呼気は自然と長くなります。
     
『天台小止観』に、「息を調うるに四相あり。一に風、二に喘(せい)、三に気、四に息(そく)なり。―――中略―――息の相とは、声あらず結せず麤(そ=粗)ならず、出入綿々として存するがごとく亡きがごとく、身を資けて安穏に、情に悦予を抱く。これを息の相となす」とあります。
     
皆様は、この技法によって、「息(そく)の呼吸」を味わう糸口を掴めるでしょう。
呼吸が「出入綿々として存するがごとく亡きがごとく」になるためには、横隔膜や腹筋の動きが微妙に影響します。特に呼気と吸気との移行、吸気と呼気との移行が微妙です。
     
この技法では、少なくとも呼気の間は「綿々として存するがごとく亡きがごとく」を味わえるでしょう。あとは呼気と吸気との移行、吸気と呼気との移行においてどのようにするかということになります。
     
「息(そく)の呼吸」の体得は、皆様への宿題とさせて頂きます。もし答えを見つけたらお知らせください。私の答えと比べてみたいと思います。
     
尚結跏趺坐の方で、横隔膜のゆったりとした上下運動のコツが掴めましたら、この方法を重畳法9 呼気・吸気共に、「赤丸」と両「失眠」とに繋意の技法に応用してみてください。
将来、「息の呼吸」の技法を指導する方に出合ったならば、皆様が体得した技法とその方の技法とを比べて、より良い技法を編み出してください。

*舌の位置は、重畳法10では「ヌ」に近くなります。
    
*「1分間に2〜3回程度の呼吸ができなければ、禅坊主とはいえない」と、長呼吸を評価する方がいらっしゃいます。
     
しかしこのマップの目的地は十合目 止の体得と、その別峰 薄紙一枚の坐禅の体得ですので、「息の呼吸」にあまり拘る必要はありません。長呼吸や「息の呼吸」にあまり関心のない方は、先に進んでください。
     
見晴台から本道に戻る時は、一旦五合目の重畳法の1、2そして六合目の重畳法の4,5を繰り返した後に、七合目に進むと良いでしょう。