禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

調息山八合目 いざ頂上へ 2・・・満月に照らされた湖面の畔で坐禅

  ○呼気・吸気共に、「赤丸」と両親指の付け根から両「労宮」にかけての緊張感に繋意
    
*前の技法とは異なって、手指が接し、通常の法界定印になります。
両手の親指から労宮にかけての緊張感に繋意します。両手で満月を受け止めているような感じで坐ります。赤丸への繋意が弱くなっても構いません。

道元禅師の『宝慶記(ほうきょうき』に「坐禅の時、心を左の掌に安んずるは、乃ち仏祖正伝の法なり」とあります。この場合は、左手の親指から労宮にかけての緊張感に繋意するのですが、実際やってみますと左手だけに繋意するのは、少しやりづらいものです。(この事については、14頁を参照してください)
この「左掌に心を安んずる」という技法には、特別な境地が隠されています。これについては別稿『禅仏教の方向性』や『奥ノ院に於ける坐禅』等で触れられる予定です。    

*表題の「満月に照らされた湖面の畔で坐禅」というイメージは坐り始めには良いのですが、坐って行くうちには体性感覚のみに集中するようにしてください。この段階では、イメージの力はできるだけ避け、大脳辺縁系の機能を棚上げすることが重要な意味を持っています。    

*舌の位置は、「ト」に近くなります。