禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

日本人にとっての仏教 「禅と茶の集い」だより(65)

暖かい日が続いています。
先週に引き続いて、新しく会を訪ねてきた方が見えました。
房総坐禅道場のHPで、禅と茶の集いを分かりやすいところに表示したせいもあるのか、先々週にから会を訪ねてきてくれる人が続いています。
こちらはいつでも大歓迎ですので、どんどん来ていただきたいと思います。
さて、今日の読書会で輪読したところのテーマは、日本人にとって仏教とは何かということ。
本文を引用します。
 
そもそも「仏教を守る」と言ったとき、仏教の何を守るのだろうか。京都や奈良の国宝を守るのか、菩提寺の伽藍を守るのか、それとも各家のお墓だけを守るのか。
私はそのことを考える前に、日本仏教にはどのような存在意義があるのか、というところから問い直す必要があると思う。これからの日本の社会の中で、仏教はどのような役割を担うべきか。そのことこそが問題ではないか。
そこでひとつの思考実験に付き合っていただきたい。
もし、一夜にして日本から仏教が消えたとしたら、この国はどう変わるのだろうか。
 
ネルケさんは、「仏教」がなくなっても、気がつかない人がいるのではないかと危惧しています。僧侶までが消失しても、お葬式やお盆を迎えるまで誰も気がつかないかもしれないのではないかと。
 
多分、毎日仏壇のお水を新しいものにして線香を上げている人だったら、分かるかもしれませんが、仏壇もない家も多いと思うので、日常生活で仏教と関わっている人はあまり多くないかもしれません。
ただし、修学旅行で京都や奈良を訪れたときにお寺が全部なくなっていれば困るかもしれませんが。(笑)
 
この話の続きをしているうちにお茶の時間になりました。
今日は、森本さんのお手前でした。
お菓子は、新茶饅頭でした。森本さんが新緑の桜の葉を用意してくださりその緑も目にしみました。

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今日初めてきた方に、坐禅の坐り方を教えました。
ほとんどの人ができないことを前提に、とりあえず両足を両ももの上に上げる結跏趺坐(けっかふざ)の仕方を教えましたが、なんとこれが最初からできてしまいました。
坐禅の時間も30分くらいありましたが、ずっとこのまま坐っていました。これにはこちら側がびっくりで、こんなにできる人は滅多にいません。
最初は、片足だけ上げる半跏趺坐(はんかふざ)か日本坐、それもよくできない人は、イス坐禅でもいいことになっています。
 
今日、いらっしゃった方は、コミュニティセンターの中に和室と茶室があってこんなにいい経験ができるとは思いませんでしたという感想をもらしてしました。
そこで、最後に一言お願いしました。
 
「一回だけ坐禅とお茶を経験して、いい思い出ができました、で終わりにしないでできればしばらく続けてきてみてくださいね」
 
これは皆さんに言っていることです。
少し続けてみないとなかなか妙味を味わうことはできないので。
 
来週は、2015年5月8日(金)、午後7時から始まります。
45分×2回の坐禅をします。どうぞおいでください。
お待ちしています。
 
義存 合掌