禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

永遠の命 「禅と茶の集い」だより(69)

5月なのに真夏のような暑い日が続いていましたが、今日は久しぶりの雨。なぜかほっとした気持ちになりました。
今日(2015年5月30日)は珍しい第5週目でした。まずは読書会から。
ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の続きです。
 
まずは、ネルケさんが体感している永遠の命です。
 
 世界の多くの宗教では、永遠の命を説いている。いま、私たちは「天地いっぱいの命」を生きているが、言うなれば「命の器」に過ぎない。死んだら器は壊れるが、永遠の命は消えるのではなく、別の形になる。そして、永遠の命は増えたり減ったりしない。赤ちゃんが生まれても命が増えたわけではなく、永遠の命が新しい形でこの世に現れたということであり、老人が亡くなってもその命が形を変えて永遠の命へ戻っていくだけだ。
 人は死んだら生まれ変わるのか、それともあの世へ行くのか、正直、私にはわからない。しかし永遠の命に生かされている感覚はある。普段私たちは、個人の命しか考えていないが、ときには天地いっぱいの命について考えてみてはどうだろうか。

さて、読み終わって感想を述べ合いましたが、早速、「じゃあ、その天地いっぱいの命ってどんなものだろう」という質問がありました。
 
これに、言葉で答えるのは簡単ではないというかほとんど不可能だと思います。
ネルケさんも永遠の命に生かされている「感覚」があるといってはいますが、それがどんなものかは説明していません。
体感したものをそのまま言葉で表現できるとは限らないでしょう。
 
ただし、この永遠の命はいわゆる霊魂が不滅だとかいう類のものではないと思います。
 
私自身も、多分ネルケさんが言っている永遠の命は体感していますが、どう表現していいかは分かりません。
 
宇宙の命そのものを私が生きている、宇宙の命が私を生きているとでもいいましょうか。
 
ネルケさんは、別の章で、道元禅師の次の言葉を引用しています
 
この生死は、すなはち仏の御命なり
 
これで納得という人もいるでしょうし、ますます分からなくなったという人もいるのではないかと思いますが、これが禅の世界観です。

 
次はお茶の時間です。
今日は第5週でお茶の点てる人がいなかったため、ペットボトルの冷たいお茶を飲みました。たまにはこういうのもいいです。
 
お菓子も、シンプルな一口まんじゅうでした。

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来週2015年6月5日から、26日までは体験教室が開催されます。
HPのニュース欄でご確認ください。
4回にわたって毎週違った話題が提供されるので、初めての方には大変良い機会だと思います。
すでに数名の希望者がありますがまだ定員まで余裕がありますのでどうぞふるってご参加ください。
お待ちしています。
 
義存 合掌