禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

自殺について 「禅と茶の集い」だより(74)

今日(2015年7月4日)、千葉は豪雨に見舞われ、私が住んでいる地区には川の増水のため避難勧告が出されました。
 
友人や親戚から大丈夫ですかとのお見舞いメールがたくさん届き、ありがたく思いました。幸い浸水に至った家屋は無く事なきを得ました。
そんな中、今日もコミュニティセンターへ向かいました。
 
今日は、7月第1週です。
まずは、ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の輪読の続きです。
 
ブログの題名として「自殺について」はちょっと刺激が強いかと思いましたが、これは今日輪読したところのテーマです。少し引用します。
 
 多くの宗教では、「自分の命は自分だけのものではない」と説いている。自分の命も「天地いっぱいの命」がその形で現れただけで、それを自分の判断で捨てるというのはとんでもない。だから自殺は許されないとしている。
 一神教の場合はわかりやすい。心や体、そして命そのものも、神の所有物であって、自分の持ち物のように扱ってはいけない。神から借りた命だから粗末に扱ってはいけない、としている。
 
ここを読んで、感想を述べ合ったのですが、新幹線内での自殺と思われる事件で多くの人が巻き添えになり死傷した事件があったばかりなのでそのことが話題になりました。
 
自己主張の強い人だったと想像されますが、それにしても閉鎖された空間であのようなことが起こるとは・・・。
生活が苦しいという情報が事前に外部にも発信されていたようなのに、そこで止めることはできなかったのだろうかと悔やまれます。
これは自殺に対する一つの答えになっていると思うので、もう少し引用します。
 
 「自分の命だから自分の好きにしてもいい」と言うが、呼吸一つ自由にならない。《自分》と思い込んでいるものが、体の一部でしかないことが、坐禅をしているとよくわかる。その《自分》という思いを手放すことこそ坐禅のポイントである。
 執着は《自分》も、ときには他人をも殺す原因になる。執着があることは、仕方がない。あるものをないとしてはいけないが、その執着の虜にならないことが肝要である。マイナスの思いが湧いてきたら、その思いがあることを素直に認め、その思いの操り人形にならないよう折り合いをつけてほしい。
 
このとおりだと思います。
 
読書会のあとは、森本さんのお点前により、お茶を頂きました。
 
お菓子は、末廣まんじゅう。

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小ぶりですが、とてもおいしかったです。
 
お茶の時間には、今世間で話題(問題?)になっている異常気象や政治のあり方などかなり広い範囲にわたってさまざまな意見が出ました。
 
本来、お茶室には、世俗的な話題は持ち込まないことになっているのですが、まあ、禅と茶の集いでは何でもありです。
 
今日は、体験教室に初めて参加された方は、少ししかお見えにならなかったのですが、またぜひ顔を見せていただきたいと思います。
継続は力なり。お待ちしています。
 
義存 合掌