禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

自分でお茶を点てる 「禅と茶の集い」だより(76)

今日(2015年7月17日)は大型の台風が来ているということで、風が強く時々強い雨が降り出すという不安定なお天気でした。
大きな被害が無いことを祈ります。
 
第3週なのでいつものとおり読者会からです。
ネルケ無法さんの日本人に「宗教」は要らないの続きです。
キリスト教と仏教を比較してこんな記述がありました。
 
坐禅などは、インドのような熱帯地方では、動くとしんどいから静かにじっとして自分を見つめる、という風土から生まれたと言われている。ヨーロッパでは寒いから、動かないといけない。冬にじっとしていたら死んでしまう。
ヨーロッパ人は風土や体質的にも、能動的で外向きである。仏教のような内向きの宗教は欧米人には合わないとされている。欧米人は「アクティブ」な特性があるのでキリスト教もアクティブな宗教なのだ。
 
確かに、宗教は、気候や風土などの影響を受けています。
一神教は砂漠の宗教という気がします。
四季に恵まれている国で育った私達にはそれに合った宗教があるのでしょう。
また、同じ仏教でも、時代や国によってだいぶ違っていますね。
タイでは、仏像も寝ています。暑いから昼寝をするのがあるべき姿なのかなあと思います。
 
さて、次はお茶の時間です。
 
今日は、大石さんの提案により、各自が自分のお茶は自分で点てることになりました。
10人中7人が始めてお茶を点てました。
「あれっ?全然泡がたたない」
「飲んでみたけど、だまが残っている」
「お茶係りの人の苦労がありがたい」
などの感想が聞こえてきました。
 
百聞は一見にしかず。ということわざがありますが、見るとやるとでは大違いで、坐禅同様、自分でやってみなければ分かりませんね。
これからも、時々は自分でお茶を点てることになりました。
 
お茶のあとは、1炷香(45分)の坐禅をしました。
 
来週は、7時から坐禅。8時くらいから太田先生の坐禅ワークショップです。
これまた、参加してみないとわからないという世界ですからどうぞ体験してみてください。
 
お待ちしています。
 
義存 合掌