禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

幸せって何だろう 「禅と茶の集い」だより(80)

今日(2015年8月21日)は、先週が摂心でこの会はお休みだったので、2週間ぶりとなりました。
 
房総道場の摂心に熱心に参加していたYさんが最初から顔を見せてくれました。
Yさんは先週、道場で1日に10炷香くらいの坐禅を体験して足の痛さに悲鳴を上げていたのでずっと続けてきてくれるか少し心配だったのですが、彼の笑顔を見て心配は全くの杞憂だったことが分かり安心しました。
 
今日は第3週なのでいつものとおり読者会からです。
ネルケ無法さんの「日本人に宗教は要らない」の続きです。

さて、幸せとは何でしょうか。
幸せというのは、主観的なもののようで、傍から見てあの人は優雅でリッチな生活をしていてうらやましいと思っても、本人は自分は不幸だと思っているということはよく在ります。
自分は、もっと幸せになりたいと思っていても、自分がいざその環境におかれたときに幸福感を感じられるかどうかは分かりません。
ネルケさんの本から少し引用します。
 
幸せはがんばれば見つかるというわけではない。もちろん幸せを願う気持ちを否定する必要はないが、幸せな状態ではないときも「当たり前だ」「それでいい」と理解しておくことも必要である。「どこかに本当の幸せが隠れているのでは?」と、幸せを探し続けても、幸せを見つけることはできないだろう。
道元禅師の言葉に、「放てば手に満てり」がある。「欲や執着を手放したとき、大切なものが手に入る」という意味だ。しかし我々は、手ばなすどころか、さらにもっとつかもうとしてしまう。
 (中略)
 どの時代の、どこの国の、どの地位の人も「100%の幸せ」はつかんでいない。

  

個人的には、自分が幸せかどうかとか考えていないときが実は一番幸せなのだと思います。
あとは、人と比べることをやめたときかもしれません。
今の自分のことを考えると、最近自分は幸せかどうか考えたこともあまりないので、かなり幸せなのかなあと思います。
 
さて、次はお茶の時間ですが、今日も各自でお茶を点てました。
今日が初体験の人も二人いました。
かなりぎごちない手つきでしたが何とかできました。
 
自分で点てたお茶はなかなかおいしいという人も、やはりお茶係りの人に点ててもらったほうがおいしいという人もいました。
お茶のお菓子は、二色きんつばでした。

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お茶を点てているとき、こんにちはという声がして、Mさんが顔を見せてくれました。
道場の摂心に参加していた好青年で、禅と茶の集いにも顔を出してくださいと言ったら、早速きてくれました。
 
一人で坐禅を続けるよりも、一週間に一度でも何人かの人と坐禅をする機会を持ったほうが日常にリズムが出て坐禅を続けやすいので、この会をうまく活用していただきたいと思います。
 
来週は午後7時から坐禅、8時からは太田先生の坐禅ワークショップです。
お待ちしています。
義存 合掌