禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

不安を感じたほうが健全 「禅と茶の集い」だより(84)

今日(2015年9月18日)は第3週で6時の読書会から始まりました。
 
ネルケ無法さんの「日本人に宗教は要らない」の続きです。
まずは本文から。

将来に不安を感じていると悩む人がいるが、それはそれでいいのではないか。
逆に、将来に不安を感じてもらわなければ困る。
みなが楽観的に「大丈夫だ」と思っているときほど、危険な状態はない。だから、将来が不安だと悩んでいるときほど意外に大丈夫なのだと思っている。今が危険だと思ったら、人は事故に遭ったり穴に落ちたりしないように気をつけるだろう。「大丈夫だ」「心配ない」と言う人ほど大事故に遭う。
(中略)
「自分の老後も国もどうなるかわからない」と大いに悩み、不安を感じることは、安心しきっているときよりよほどいい。
 
さて、最近は気象も異常だし、政治も混乱しています。
将来に不安を抱いている人がほとんどだと思います。
ネルケさんに言わせれば、そのほうが危機感があって良いということになりますが・・・、どうでしょうか。
 
禅に興味を持つのは、何かしらの不安や悩みがあるからだと思います。
そもそも、釈尊生老病死という大問題を抱えていたからすべてを捨てて真理を求めるという道に入ったわけです。
歴史を見ても、何も悩みや疑問がなくて宗教や哲学を求めた人はいないのではないでしょうか。
 
自分のことを振り返ってみても、青春時代に「自分とは何か」という大きな悩みもち、そこから物理的にも精神的にもあっちこっちをふらふらし最後にたどり着いたのが禅の世界でした。
まだ、答えを求め続けている道の途中ではありますが、ここには確かな答えがあると思っています。
だから飽きずに続けてこられたのだと思うしこれからも続けていけるのだと思います。
 
誰もが釈尊のように国も妻子も捨てて道を求めるなどということはできません。
ですから房総坐禅道場や禅と茶の集いが、在家のままで道を求めるという場を提供できたらよいと思っています。
まあ、道を求めるなんて大それた理由をつけずとも、軽い気分で来た人がここには何か在るんじゃないかと思って禅を続ける人もいます。
あとは、本人しだいです。
 
次はお茶の時間です。
今日は少人数でしたが、栗田さんの手前でおいしいお茶を頂きました。
お菓子は、小ぶりでおいしい山田屋饅頭でした。

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来週は午後7時から45分の坐禅
 
そのあとは、精神科医の大田先生よる坐禅ワークショップです。
 
お待ちしています。
 
義存 合掌