禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

良寛の辞世 「禅と茶の集い」だより(92)

今日(2015年11月20日)は日中は雨が降っていましたが午後からはやみ、ひんやりした空気の中をコミュニティセンターへ向かいました。
午後6時から、川端康成の「美しい日本の私」の続きを輪読しました。
今日読んだところで先ず話題となったのは、
 
 私の小説「千羽鶴」は、日本の茶の心と形の美しさを書いたと読まれているのは誤りで、今の世間に俗悪となった茶、それに疑いと警めを向けた、むしろ否定的の作品なのです。
 
いつもお茶を点てている大石さんから、これは一度は読まないといけないですねとの声が聞こえました。
ノーベル文学賞の受賞スピーチでこれだけのことをはっきり言うのですから、千羽鶴が誤解して読まれているということをよほど苦々しく思っていたのではないかと思われます。
道眼禅師の「本来の面目」という歌を冒頭で紹介していましたが(禅と茶の集いだより 89)、これに似た歌として良寛の歌が紹介されます。
 
 形見とて何か残さん春は花
  山ほととぎす秋はもみぢ葉
 
 これも道元の歌と同じやうに、ありきたりの事柄とありふれた言葉を、ためらひもなく、と言ふよりも、ことさらもとめて、連ねて重ねているうちに、日本の真髄を伝えたのであります。まして良寛の歌は辞世です。
 (中略)
 その人の辞世が、自分は形見に残すものはなにも持たぬし、なにも残せるとは思はぬが、自分の死後も自然はなほ美しい、これがただ自分のこの世に残す形見になってくれるだらう、といふ歌であったのです。日本古来の心情がこもってゐるとともに、良寛の宗教の心も聞える歌です。
 
もうこれは、川端康成自身の解説で十分ですね。
 
輪読のあとは、一炷香(45分)の坐禅をして、そのあとは太田先生のワークショップがありました。
 
来週2015年11月27日は、房総坐禅道場で摂心があるために禅と茶の集いはお休みとなりますので、ご注意ください。
 
次回は、2015年11月12月4日(金)、午後6時からです。
 
お待ちしています。
 
義存 合掌