今日(2015年11月20日)は日中は雨が降っていましたが午後からはやみ、ひんやりした空気の中をコミュニティセンターへ向かいました。
午後6時から、川端康成の「美しい日本の私」の続きを輪読しました。
今日読んだところで先ず話題となったのは、
私の小説「千羽鶴」は、日本の茶の心と形の美しさを書いたと読まれているのは誤りで、今の世間に俗悪となった茶、それに疑いと警めを向けた、むしろ否定的の作品なのです。
いつもお茶を点てている大石さんから、これは一度は読まないといけないですねとの声が聞こえました。
道眼禅師の「本来の面目」という歌を冒頭で紹介していましたが(禅と茶の集いだより 89)、これに似た歌として良寛の歌が紹介されます。
形見とて何か残さん春は花
山ほととぎす秋はもみぢ葉
(中略)
その人の辞世が、自分は形見に残すものはなにも持たぬし、なにも残せるとは思はぬが、自分の死後も自然はなほ美しい、これがただ自分のこの世に残す形見になってくれるだらう、といふ歌であったのです。日本古来の心情がこもってゐるとともに、良寛の宗教の心も聞える歌です。
もうこれは、川端康成自身の解説で十分ですね。
輪読のあとは、一炷香(45分)の坐禅をして、そのあとは太田先生のワークショップがありました。
次回は、2015年11月12月4日(金)、午後6時からです。
お待ちしています。
義存 合掌