禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

虚空 「禅と茶の集い」だより(99)

今日2016年1月29日は第5週で、6時からの読書会で始まりました。
川端康成の美しい日本の私を読んできましたが、今日で最後となりました。
 
明恵伝」から引用しています。
 
(前略)
紅虹たなびけば虚空色どれるに似たり。白日かがやけば虚空明かなるに似たり。
しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。また色どれるにもあらず。
我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。この歌即ち是如来の真の形体なり。
 
次に、これは川端康成自身の言葉として
 
 日本、あるひは東洋の「虚空」、無はここにも言ひあてられてゐます。私の作品を虚無と言ふ評家がありますが、西洋流のニヒリズムといふ言葉はあてはまりません。心の根本がちがふと思ってゐます。道元の四季の歌も「本来の面目」と題されてをりますが、四季の美を歌ひながら、実は強く禅に通じたものでせう。
 
と結んでいます。これで、ノーベル賞受賞記念講演は終わっています。
最後は、かなり難しいですね。解説不可能。自分で味わうしかないと思います。 
ちなみに、道元禅師の歌とは、
春は花夏ほととぎす秋は月
冬雪さえて冷しかりけり
です。
 
次のお茶の時間では、これは日本語でも難しいのだけれど、英語では一体どういう風に訳しているのかということになり、訳を見てみました。
 
 Here we have the emptiness the nothingness of Orient.
 (後略)
  
とされていますが、日本語でもよく分からないものを、英語のネイティブが訳を読んで、emptiness とか nothingnessでどんなイメージを持つのかは見当がつきません。
 
まあ、そんなことを考えているよりも、お茶を味わったほうがいいということになり、栗田さんのお点前でお茶を頂きました。
お菓子は金ごま餅でした。

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来週からは、禅マインド ビギナーズ・マインドを読みます。
もちろん日本語で。英語で語られた禅がどのようなものなのか興味が湧きます。
 
来週は、2016年2月5日。6時から読書会、お茶の時間と続き、8時から坐禅の時間となります。途中からの参加も大丈夫です。どうぞお越しください。
 
義存 合掌