禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン

 
 
昨年暮れに法話を伺いこのブログでもご紹介させていただき、その後も個人的に法事などでもお世話になったりしてご縁が続いている宇野和尚さんですがこっそりと書籍をだされていたのを見つけてしましました。
 
「禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン」という本ですが、昨年6月の発売です。
禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン

禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン

  • 作者:宇野 全智
  • 発売日: 2017/06/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

著者の宇野和尚さんは山形県のお寺のご長男として生まれ、山形大学卒業後に曹洞宗の布教師養成機関に行かれ永平寺でも修行された禅僧で、現在は曹洞宗総合研究センターの研究員でいらっしゃり、「こころの問題」研究プロジェクトリーダーとして、被災地支援活動、自死遺族支援活動にも関わる方です。

 
自分のメモ書きから書き抜くと・・・
 
・無心になるとはボールを空にすることではなく、「ざる」のように感情を通過させる
・目には見えないものを見るという思考実験
・よいこのまねをした悪い子の話 まねると学ぶ・・
・修証義が明治時代に作られた
・お賽銭の具体的な金額についての話
・修行僧時代の栄養不足の話
 
どのお話も興味深いのですが、最後に宇野和尚さんが仏教学の恩師から聞いたキリスト者の話「信仰を持つ人と持たない人の違い」という話とそれを受けての宇野和尚さんの信仰観がとても印象的だったので要約してご紹介します。
 
「二艘の船が海に浮かんでいる。片方は錨が下りている船、もう片方は錨が下りていない船。
風が吹けば傾き、嵐が来れば激しく揺れるのは変わりないが、嵐の後に錨のついていない船が元の場所から大きく流されているのに比べ、錨が付いている方は元の場所にとどまる。
人が信仰をもっても風がふき嵐が来るし、自分が傾き、揺れるのは避けがたいが嵐が去った後に元の場所にいられる、、、それが信仰の価値である」
 
「私は信仰について自分もこのキリスト者と同じようにとらえていることに気づきました。そして、以前聞いた「免震」の話を思い出しました。
高層ビルを作る時の地震に備える工法は耐震ではなく、免震という考え方です。それは揺れないように頑丈に作るのではなく、もしろ効率的に揺れることで力を逃がし結果的に地震に強い建物を作るという考え方・・・・(中略)・・・・たとえばレインボーブリッジや瀬戸大橋など大きな橋は、風に揺られないようにと設計するのではなく、むしろ風が吹けば吹かれるのに任せ、地震が来れば揺れに任せてむしろ揺れることで強いものを造ることができるということでした」
 
禅と茶の集いでも「ぶれない心を作るとはどんなことか?」、「そもそもぶれちゃいけないのか?」など茶話にあがることあり、自分の中でも抱えていた疑問のひとつなんですが宇野和尚さんのおかげですとんと肚(はら)に落ちた気がいたします。
 
さすが曹洞宗の教えをわかりやすく伝えるための企画や開発に携わっている宇野和尚さんですね。
 
巧みな比喩や、お話の紹介などたくさんあり「禅」に興味ある方だけでなく、「仏教」「宗教」など広い範囲に通じていると思いますので多くの方に読んでいただければと思います。
 
そして宇野和尚さんにはぜひぜひ続巻、続々巻をお願いしたいと思います。