禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅修行の階梯を考える(11)「禅と茶の集い」便り(205)

台風が近づく中、今月の太田ワークショップが開催されました。
別室での個別指導がなされる中、大座敷での坐禅会はしっかりと一柱香つづきます。
7時からのワークショップでは「禅修行の階梯を考える」p29から始まるⅧ「視覚の修練」を中心に講義が進みます。

冒頭、太田先生よりなぜ視覚というものが禅修行で大切かの説明がなされました。
この項の主眼として「公案体系ができる以前の禅修行の工夫に思いをはせる」というサブタイトルについても深く講義があった所です。
なのでマジカルアイといった平行視や交差視という視覚のテクニックだけとはおおよそ違うのだそうで、坐禅体験を通して自伝的自己を棚上げしているからこそ見えてくる世界、その上での視覚の修練によってより三つの宝物を味わい使いこなせるというお話でした。
 
能の世阿弥が言われた言葉に「離見の見」があります。
「花鏡」で述べられた言葉で演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のこととされており、先生の言われる境涯にも通じるのかもと思いました。
離見の逆である自己中心的な狭い見方は「我見(がけん)」といい、これによって自己満足に陥ることを厳しく戒めているとも世阿弥は仰っているそうです。
 
次回のワークショップはp35「3.体性感覚領域および聴覚領域にける・・・」と次回は聴覚です。
そして来週の禅と茶の集いは8月第1週なので、輪読会と呈茶、坐禅の3本立てで充実したプログラムです。
社会人のための坐禅ですので、遅れてくるのは全然気にしませんので、どうぞどなた様もお出かけください。

皆さんのご参加をお待ちしてます。(Y)