禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅修行の階梯を考える(15) 「禅と茶の集い」便り(219)

今月は長く感じましたのは私だけでしょうか?
早々に11月の声を聴きながら、え!まだ11月なんだぁ~って思うのは生活が充実していたからでしょうか?それとも逆だったからでしょうか?

と言うわけで普段は第4週なのですが、今月は第四金曜が祝日のため1週延期で第5週に太田ワークショップの開催となりました。

登坂会長がお休みのため、太田先生が直日代行となり坐禅からスタートです。
途中に経行(きんひん)を挟むという趣向で、初めに経行の仕方のレクチャーから始められました。
15分ほどの短めの坐禅の後に大和室を半歩ずつ2周の経行を行い、後半は長めの坐禅をしてワークショップとなりました。


まずお軸の説明から。
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よく見る達磨図なのですが、作者が出口王仁三郎という作品でした。
神道系の新宗教の教祖がなぜ「達磨」なのか不思議な感じがしましたが、ワークショップもお軸に負けないほどの不思議なものでした。

本日はメインが発声法ということで、参加者8名がそれぞれの声を確認するところから始まります。
「私の名前は○○△△です。」という短いフレーズの声が体のどこから出てくるかなど普段無意識に行っている発声を、マインドフルに気づきをもって丁寧にいきます。
「肚」「頭に抜けるように」「足の裏」「目頭」「右たなごころ(手掌)」などなど、ひとりひとりの発声に「全然だめ!」「意識しすぎ!」などと太田先生の寸評は鋭く、「もう一度!」と何回も繰り返す場面もありました。

太田先生のおっしゃった「声の出し方は、人生が作り出したものでもあるから なかなか変えられない」という一言が重く心に響きます。
もしそうだとすれば、声の出し方を変えるという行動はその後の人生を変える力すら持ち得るのではないかと思い、散会後にお聞きしたところ「もちろん変わるよ、そりゃ」とのことでした。

夏にカッコいい渋い役をドラマを演じていた俳優さんが、秋にはなんとも情けない頼りない役になりきっているのを見るととても同じ人とは思えないことってありますよね。特に脇役なんかだったりすると後で同一人物と知ってビックリってことも何度か経験してます。
「人生は舞台だ」という言葉も言い古されておりますが、「別の自分になりたい」「違う性格になりたい」って思うならいっそ舞台に上がった俳優になったつもりで「違う役」になりきりのもいいことなのかもしれないと私の妄想は広がる一方でした。

来週はいよいよ師走。
第1週は、18時から新しいテキスト「ブッタは、なぜ子を捨てたか 」の輪読が始まります。そして呈茶、坐禅ともりだくさんの内容ですので皆さんご参集ください。
(Y)