禅と茶の集い

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禅体験セミナー 禅と健康(3) 病気の二つの側面

 健康を考える上でまずはっきりさせておきたいことがいくつかあります。

最初は「病気とは何か?」と云うことですが、これには二つの側面があります。

 

一つは疾病あるいは生物学的な問題であり、もう一つは「病(やまい)」としての主観的問題です。

英語で言えばdiseaseとillnessという二つの側面があるという事です。

 

例えば、様々な病気や事故などで身体の一部を切り取らざるを得なかった人、あるいは体質的に内蔵機能の一部に問題がある人もそうでしょうが、そういう方はそれなりのハンディキャップを背負って生活することになるわけです。しかし、ハンディキャップがあっても、前向きに明るく、毎日を生き生きと生きて行くことができていればその人は主観的には病んでいる人では無いわけです。

 

死にそうになっている時、身体は苦痛にうめいている時でさえ、その人が主観的に病んでいるかどうか一概には決められないこともあります。

 

 一方で、特に心身に生物学的・医学的には病気といえるほどのことはないのだけれど、毎日気分がすぐれず、張り合いの無い人生を送っていれば、それは主観的には病んでいるともいえるのでは無いでしょうか。

 

禅の修行のとき老師から修行者に与えられる問題のことを公案といい、その一つに「馬祖不安」というのがあります。どのような問題かというと、

 

馬大師不安。院主問う、“和尚 近日尊候如何?”師云わく、“日面仏!! 月面仏!!”

というのですが、もともと漢文で書かれていることもあって、聞いただけでは意味が全然わかりませんね。(笑)

 

ちょっと訳してみると、 

馬祖道一禅師といういにしえの大宗匠がいよいよ歳をとって死にかけているときに、弟子の一人がお見舞いに行って「老師、具合はいかがですか?」と話しかけました。その時馬祖大師は「日面仏、月面仏!!」と答えたのですが、いったいそれはどういう腹から出たことなのか?というのが、修行者に与えられる問題で、これを坐禅しながら、その時の死にかけている馬祖大師になりきって工夫していくわけです。重病で今にも死なんとしている時の馬祖大師が、決して病んでいなかったということが、実感されると、この公案を透ることができる、まあ、禅の修行というのはこんな事をやっています。

 

つづく