禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅体験セミナー 禅と健康(4) 健康の定義

 病気には客観的な側面と主観的な側面があるということが健康を考える上で大事なことだと思いますが、もう一つは、健康とは果たしてどのような事を云うのか、すなわち健康とはただ単に病気で無いということなのか、という疑問です。実はその辺の所は世界中の有識者が集まって徹底的に議論されています。国際的に健康に関する話し合いをする上で、健康とは何かという基本的定義が決まっていないと、共通の土俵で話ができないという事があるからです。

 

 世界の有識者が国連の下部機関であるWHOという所に集まって議論を重ねた結果できた健康の定義では、「健康とは身体的、心理的、人格的(スピリチュアル)、そして社会的な面も含めて共に良好な状態であって、単に病気でないとか虚弱で無いということを意味しない。」と言うものになっています。

 

 最初に健康の定義が定められたときは身体的、精神的、社会的に良好という文言だったのが、精神的というのが曖昧だというのでメンタルとスピリチュアルに分かれた経緯があります。

 

 健康に含まれる4つの要素は、定義の順番に云うと一番に身体、次に心—メンタルですね、次が人格ですが、これはいろいろな内容を含んだ言葉ですが、とりあえずは「思いやりのある」という意味にとりたいと思います。そして社会的に健康というのはみんなと仲良くやっていけるということです。身体だけ丈夫ならよいと云うものでは無い。くよくよして落ち込んだり、ストレスに負けていらいらしたりせず、思いやりがあって、進んで人のために奉仕するような気持ちがあること、そしてみんなと仲良くやっていけるという事、それらすべてが健康のためには大変大事な要素になるという考えです。

 

 ただし、これらの方面で全部満点を取れることなんか無いわけです。ですから、これら全部が満点で初めて健康だなんて云うことはないわけで、無理に満点なんかをとらなくてもいいんじゃないでしょうか? というか、とろうと思ってもとれないですね。そこの所をWHO健康の定義ではダイナミックな状態と表現しています。○とXのデジタルでは無く、常に揺れ動いていると云うことです。

 

 言い方を変えると、誰かが健康であるとか健康で無いとかレッテルを貼って決めつけることはできないと云うことです。

 

 しかし、我々一人一人が自分自身の特性に基づく限界はあるにしても、身体と心と人間関係やトータルとしての人格の面で少しでも健やかにありたいと願い、努力と工夫を重ねることが意味のあることだと思います。

 

つづく