禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅体験セミナー 禅と健康(7) 坐禅(座禅)のすすめ

 皆さんもせっかく坐禅の仕方を学びに来られたのですから、是非地道に続けられて、いつの日か、ああ坐禅を続けていて良かったと思える日を迎えられるようにとお祈り申し上げます。

 

 だけれども、最初からそんなに真剣に打ち込める人がなかなかいないことも承知しております。最初は時々ここに集まって和気あいあいと、皆で楽しく仲良くお茶をいただき、線香1本分坐って帰る、それだけで十分だと思います。

 

  恥ずかしながら私自身のことを申しますと、私の場合は学生時代から禅に興味を持っていて、本などで読んで坐禅のまねごとをしたりしていましたが、一人では坐禅は続かず、かといってどんな人がいるのかよくわからないような禅会にわざわざ出向いていって参加するのも躊躇していましたので、ずるずると10年ぐらいが過ぎてしまいました。その後たまたま縁があって、信頼する先輩に誘われて禅会に参加するようになった時には30歳を過ぎていましたが、やっと出会った禅の世界だったのですが、それでも日常生活の忙しさに紛れてしばらく足が遠のいていた時期もあります。

 

 それでも自分は坐禅の味わいが好きでしたし、この坐禅の道を失ったら自分は一生後悔するだろうという気持ちはあったので、どうにか完全にやめること無く現在に至っています。ですから本当にきちんと坐禅ができるようになったのはほとんど50歳になろうという時だったかもしれません。でも、いつから初めても坐禅には充分に意味があると思います。それは私の実感です。

 

 この「禅と茶の集い」という市民サークルはずいぶん歴史があり、メンバーの中には市民サークルには飽き足らず、本格的な禅の修行に入っていった方も多いのですが、とりあえずは、このやることばかり多くて忙しく、ともすれば潤いにかける日常を、ほんの一時でも離れ、仲間と一緒にお茶を楽しみつつ、居ずまいを正して坐禅もするという一時を持てることはよい気分転換にもなりますし、自分の生活に一本筋が通る様な意味もあると思います。皆さんにはこのセミナーが終わりましても、ご自分の家で毎日少しずつで良いから坐禅を続け、時々でもいいですから金曜日の夜にここ千葉市中央コミュニティーセンターに集まって頂きたいと願っています。

 

 何度も繰り返しますが、坐禅を一人で続けることは本当に難しく、このような会を上手に利用しなければまず自分だけで続けることは不可能です。一つには、坐禅は坐相、フォームですけれど、それが大事なのですが、自分で自分のフォームを直すことはとても難しいのです。私は自分の部屋に大きな鏡を置いてあって、時々自分のフォームを確認しています。それでおおよその形は直せるんですが、ずっと深く坐っているときに無意識のうちに乱れるフォームについてはとても完全には直せません。ですから、私も含めてどんな人でも坐禅をする人は禅会に参加して、定期的にフォームを直してもらうことが必要になります。そうしないと坐禅に変な癖がついてしまい、良い効果がえられなくなってしまうのではないかと思います。

 

 良いフォームとはどんなフォームか?そもそも誰がそれを決めたのか?などと思われる方があるかもしれません。坐禅の形はおそらく何千年も前からインドあるいはその周辺文化の中で練り上げられてきました。その中でだんだんに心が散乱せず、雑念が出てきにくい姿勢があることが経験的にわかってきて、多くの熱心な行者が長い年月をかけて徐々に発展させてきたことであろうと思います。昨日今日誰かが思いつきで始めたことではありません。

 

 インドの人はアーリア系で手足が長いのですが、仏教が中国に伝わってからは手足の短いモンゴリアン体型に合わせておしりの下に座布団を入れる今のスタイルができたようです。日本人にとっては正座もなかなか捨てがたい座り方ですが、長く坐るためにはやはり結跏趺坐あるいは半跏趺坐の方がいいようです。股関節の柔軟性がないとなかなか楽に坐れませんが、幸いにして股関節は何歳からでも柔軟性を高めることができる関節なのだそうです。私もまだ少しずつ柔らかくなってきていますので、今は痛くて痛くてどうしようも無いという人も諦めること無く続けていただきたいと思います。

 

つづく