禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

気軽にイス坐禅を体験

先週(11月5日)のことになりますが、小さなレストランでイス坐禅の体験ワークショップを開催しました。
 
きっかけは、以前の職場の先輩とそのレストランで食事をしていたところ、坐禅の話になり、レストランの方から面白そうなので話をしてくれないかといわれたことです。
 
レストランの入り口に「気軽にイス坐禅の体験を」という案内を3週間ほど張っておいただけなのに、14人もの方が集まりました。
平日の午後ということもあり全員中高年の女性でしたが、それにしてもこれほどの人が興味を持ってくれたとは驚きました。
 
最初に、禅とは何かという話をしました。
といっても難しい話はできないし、ここでそんな話をしても仕方がないと思ったので、これから坐禅を体験してもらいますが、禅は、特定の神や仏を信仰したり、お願い事をしたりするということはないということ。
そして、なにか哲学的なことを考えることではないということを簡単に話しました。
 
禅は、実践的な「行」なので、今回は、とにかく15分の坐禅を2回体験してみましょうということで、数息観の説明をして坐禅をしました。
 
途中に5分の休憩をはさみましたが、この休憩中にもすぐに「○○さんどうだった?」とか話し始める人がいたので、さすがにこれは静かにしていましょうと注意しました。
 
コミュニティセンターの体験教室などでは、これで終わるところですが、新たな試みとして、「十句観音経」の読経の時間を設けました。
もちろんレストランのオーナーに、特定の宗派の布教を行うものではないという旨を話し了解を得ていました。
 
経文の意味はともかく、お経を読んでいるときはそのことだけになりきって、ほかの事を一切考えないようにしましょうと言って、10分くらい実践したのですが、坐禅よりもこちらのほうが気持ちがいいという人もいました。
でも、中には嫌だと思った人もいたのかもしれません。
道場での日曜静坐会後の読経についても、賛否両論があるくらいですから、これはどちらがいいか分かりません。
 
自分の経験では、特に最初のうちは、読経して声を出すほうが数息観よりも三昧になりやすい気がします。
ストレス発散に読経してもいいのかと思います。
]まあ、このレベルの話になるとカラオケで歌った後はすっきりするというのと同じレベルかもしれませんが。
 
もちろん、坐禅はストレス発散だけを目的とするわけでもありません。
でも、高齢の方が一人ではなかなか毎日数息観を実践するのは難しいので、十句観音経に限らず、般若心経でも、お題目でも、念仏でも一日15分くらい唱えてみると心の掃除になっていいかもしれませんね。
と勧めました。
 
最後に、いくらお経の意味はすぐには分からなくてもいい、と言っても、少しは説明してくれといわれました。
確かにそのとおりですね。
時間がないので、詳しく十句観音経の語句の解説はできませんが、自分としてはこういうつもりで唱えていると前置きした上で、
 
観世音!と呼びかけるのは、自分自身の中にある観世音菩薩のことを呼び覚まし、朝に夕に念じて、その観世音菩薩から離れないようにしている。
 
と答えました。
白隠禅師のように、自由自在に経文を扱えるわけではないので自分としては正直に答えたつもりですが、これは返って何が何だか分からなくなったかもしれません。
 
何事も、言葉だけではなく実践や体験を通じてでしか伝わらないことは多いと思います。
 
今週になって、レストランのオーナーから、坐禅のワークショップに参加してよかったと言ってくれている人が何人もいましたよとメールがあり、ああ、やってよかったと思いました。
 
義存 
 
「禅と茶の集い」は、毎週金曜日に千葉中央コミュニティセンターで開催されます。
次回は、11月21日(金) 午後6時から5階和室です。