禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」便り(268)

                 令和元年12月20日 記録者・栗田和夫

1.はじめに

なんとも、久しぶりの金曜日のお点前となりました。

というのも、専門学校の夜学の授業が、隔週で始まったのであります。

実は、一週間ずれると問題は無いのであるが、そうことは都合よく運んではくれないのが現実でありまして、久しぶりと言う事になるわけです。

 

そういうことで、2か月間のご無沙汰でした。

今後は、なんとか一週間ずれているので、ほっとしております。

 

さてさて、私事で大変恐縮ですが、この12月8日のマラソンにて、100回を完走することが出来、今は、本当に、ほっとしているところです。

皆さんにとっても、この令和元年は、どんな年だったのでしょうか。

 

そんな本日の、お点前なのですが、超多忙な毎日は、続いております。しかし、心安まる一時になればと、願ってのお点前にしたいと思っております。

 

2.読書の時間   

さてさて私にとっては、本当に久方ぶりの読書会でありまして、内容は「遺骨信仰へと変化」、「葬式の形」あたりなのかな?といいますのも、お茶の準備が遅くなりまして、まだ、抹茶の準備もお菓子の準備も整っていないのです。

そんなことで、読書会は、聞きかじりで、終わりの方の参加となりました。

 

さて、話題の主なものは、『遺骨信仰』から、葬儀の火葬後の遺骨を拾う際に、係りの人が、「この方は、○○で無くられました。」などと病名などの話をされたり、私の場合は、「生前は、大酒飲みだった。」などと説明がされるかなど、大きなお世話だと思ってしまいます。また、皆さんの自宅には、『仏壇は有るのか無いのか?』と言う事なり、大方の出席者からは、田舎の実家などには、しっかりした仏壇があるようです。

 

私の場合は、両親が亡くなっており、長男なので、秋田の田舎には、有るのですが、帰れないわけもあり、自分で木の箱を買ってきて、その中に、「栗田家先祖」と筆書きし、毎朝、お線香と献茶し、その部屋で坐禅もするようにしております。

やはり、「先祖崇拝」先祖に守られているという安心感を得るためということもあるのかなと思っております。 なかなか、話は尽きないのですが、まずは、呈茶の時間として、お茶を一服頂く事にしました。  

 

3.呈茶から  

本日の呈茶は、申し訳ないです、私が用意したのは、お菓子だけです。  

日のお菓子は、私の大好きな「黒糖饅頭」でありまして、薄皮が黒糖でありまして、たっぷりと餡子が入っており、ボリュームたっぷりなのであります。  

また、申し訳ありません。この黒糖饅頭、写真を撮る事を忘れてしまいました。 そして、またまた、話題はつきなく、時間が、オーバーぎみで、そんなことから、静坐が、時間ぎりぎりとなり、本来なら、午後9時10分前には、茶器・静坐道具・鍵を返さなればならないのですが、ばたばたと忙しかぎりでした。  

 

本日のお客さんは9名でした。

 

4.おわりに   

そういうわけで、静坐のあとは、「道具を片付けるのに、もう少し、早く終わらないと。」などと言いながら、階段を下りて行きました。   

さて、来週は、太田先生のいつものワークショップがあり、年内最後の行事となります。皆様のご出席宜しくお願い致します。   以上