禅と茶の集い

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現代社会人のための禅修行階梯 第一部(18)カルロス・カスタネダの言葉を吟味する

Ⅱ カルロス・カスタネダの言葉を吟味する

 

「われわれは生まれた時は、それにそれからしばらくの間も、完全に〈ナ ワール〉なのだ。けれども自分が機能するには。その補完物が必要だと 感じられる。・・・・・そこで〈トナール〉が発達しはじめ、それがわれ われの機能にとってきわめて重要なものになる。あまり重要なものにな るので、それは〈ナワール〉の輝きをくもらせてしまい、〈ナワール〉を 圧倒してしまう。」

「〈トナール〉はその利巧さによってわれわれの目をくらませて、われわ れの真の補完者である〈ナワール〉の、ほんのわずかな感触でさえも忘 れさせようとするんだ」

 

これらの言葉は、生物進化史的に「中核自己」だけの状態から「自伝的 自己」の機能が生じてきたということを意味しています。

そして「日常生活の場」をはじめ種々な背景によるほとんどの社会では、その社会で役に 立ち効率の良い「自伝的自己」の機能のみが注目され、「中核自己」は無視されてきたということです。  

 

「われわれが完全に〈トナール〉になったときから、われわれはさまざまな対立項を作りはじめる。われわれの二つの部分は霊魂と肉体だとか、精神と物質だとか、善と悪だとか、神と悪魔だとか。けれどもわれわれは、〈トナール〉という島の中の項目を対比させているにすぎないことに気付かない。」

「〈トナール〉は「話す(speaking)という仕方で」だけ、世界をつくるんだ。それは何ひとつ創造しないし、変形さえしない、けれどもそれは世界をつくる。判断し、評価し、証言することがその機能だからさ。・・・・・〈トナール〉は世界を理解するルールをつくりあげるんだ。だから 言い方によっては、それは世界を創造するんだ。」

 

これらの言葉は、「自伝的自己」を支えるシステム⑤「意味記憶を集積し、 それによって気付き・知覚・連想・思考・想像・内省・構想・企画・創造する機能」(「過去・現在・未来を考える機能」・「危険・危機に対しての方策を考える機能」・「政治・経済・社会・歴史・人文・哲学などに関わる機能」・「数理・科学的なことに関わる機能」・「創造・芸術・芸能などに関わる機能」・「宗教あるいは宗教的なものに関わる機能」を含む)の特徴を示したものです。    

 

「霊魂と肉体だとか、精神と物質だとか、善と悪だとか、神と悪魔だと か。・・・・・〈トナール〉という島の中の項目を対比させて」「世界を理解 するルールをつくりあげる」のがシステム⑤の機能だからです。  

 

「〈トナール〉はきわめて貴重なもの、つまりわれわれの「存在」そのものを保護する守護者だと言える。だから〈トナール〉の特徴は、やりかたが周到で嫉妬深いということだ。その仕事はわれわれの生の中でもとびぬけて重要な部面だものだから、それはわれわれの中でしまいには変質してしまい、守護者(ガーディアン)から看守(ガード)になってしまうのもふしぎはないのさ」  

「守護者(ガーディアン)とは心が広く、理解力のあるものだ。これと反対に看守(ガード)の方は、心がせまくいつも目を光らせていて、いつでも専制的なのさ。〈トナール〉は本来、心が広い守護者でなければならんのに、われわれの中で狭量で専制的な看守になってしまうんだ」

これらの言葉はやや難解です。

「〈トナール〉はきわめて貴重なもの、つまりわれわれの「存在」そのものを保護する守護者だと言える」と、「〈トナール〉の特徴は、やりかたが周到で嫉妬深いということだ」とは、相対立する概念であるからです。

 

〈トナール〉は守護者という面と「嫉妬深い」者(看守)という面とを含んでいると、いっているのです。  

 

ここは、「自伝的自己」を支えるシステムからみると、「自伝的自己」に は「短所」と「長所」(第一部(6)参照)との二面性があると捉えることによ って理解できます。

「自伝的自己の短所」つまり「自伝的自己」を支えるシステム②の中か ら「快、喜び・笑い」を除く「不快、不安・恐怖・怒り・恨み・憎しみ・嘆きなどの情動を発現し、それと前後して自律神経症状を発現する機能」と④「エピソード記憶を集積・上書き・保存・想起し、それによって自分の命・財産・名誉・家族(子孫を残すことを含めて)・郷土・国などを守ろうとしたり拡張・増大したり、あるいは自分達の思想や教えを保持し・強化し・拡張しようとする機能」が、そのままで看守になることは間違いありません。「自伝的自己」を支えるシステム②と④との力が強いと、これらによって、⑤と⑥が支配されてしまう状態に至るからです。

 

「自分ファースト」という方々は、まんまとその穴に陥ってしまっているのです。

とはいいましても、「自分ファースト」の力の強弱はあっても、これはどなたにでも見られる現象です。カスタネダが「〈トナール〉は・・・・・われわれの中で狭量で専制的な看守になってしまうんだ」という言葉は、大なり小なり、どなたにも見られるのです。(この言葉が内包している問題は重大です。第三部・第四部・第五部で述べます「禅修行の場」における修行は、一言でいえば、この問題に向き合うものと言えるのです。)  

 

一方、「自伝的自己の長所」つまり「自伝的自己」を支えるシステム⑤「意 味記憶を集積し、それによって気付き・知覚・連想・思考・想像・内省・ 構想・企画・創造する機能」と⑥「身体を動かしたり、行動する機能」が、 そのままで守護者になるわけではありません。

 

「自伝的自己の長所」は、守護者が形成されるための役割の半分を担っているというのが正確な表現でしょう。 以上のことを踏まえて、肝心の問題に入りましょう。  

 

前項で述べましたように、カスタネダは〈ナワール〉と〈トナール〉とが補完者だと述べています。但し〈トナール〉が真の補完者となるためには、心が広く、理解力のある守護者(ガーディアン)になった時であるともいっています  このことを、どのように捉えればよろしいのでしょうか。  

 

一旦〈トナール〉全体が「狭量で専制的な看守に」によって支配された状態から、いかにして「心が広く、理解力のある守護者」になるための役割の半分を担う〈トナール〉に替えていくのかという問題です。  

ここはカスタネダの言葉だけでは、はっきりとは見えてきません。  

「自伝的自己」(〈トナール〉)全体が、「自伝的自己の短所」(看守)によって支配されている状態から、「自伝的自己の長所」を発揮させて「心が広く、理解力のある守護者」になるための役割の半分を担う〈トナール〉に替えていくためには、〈ナワール〉つまり「中核自己に備わっている宝物」の助けが必要となってくるのです。  

 

この「中核自己に備わっている宝物」の助けによって、第一になすべきことは、「自伝的自己の短所」(看守)の力を無力(「棚上げ」)にし、その支配から「自伝的自己の長所」を開放することです。  

第二になすべきことは、これまでの「自伝的自己の短所」(看守)によって支配されてきた結果としての悪しき思考・行動パターンを、「中核自己に備わっている宝物」と「自伝的自己の長所」との相互補完的協働(連携)によって、修正し、新たな思考・行動パターンを構築していくということです。(第三章のⅠ・Ⅱ、第一部(9)(10)を参照)

以上によって、カスタネダのいう、〈ナワール〉と〈トナール〉とが真の補完者になるという道筋が見えてくるのです。

 

そして〈ナワール〉(「中核自己に備わっている宝物」)と〈トナール〉(「自伝的自己の長所」)とがお互いの役割を担うことによって、心が広く、理解力のある守護者(ガーディアン)が形成されるのです。

 

カスタネダ自身は、この道筋および〈ナワール〉と〈トナール〉との新たな連携についての細かな説明はしていないようです。

むしろ『呪術師シリーズ』の読者に宿題を与えているのかもしれません。

『呪術師シリーズ』に述べられている各種技法を体得した読者自身で、この問題を解決してくださいと。  

 

しかし「現代社会人のための禅修行階梯」では、もう少し親切で、より 具体的な実行案を提案しています。  

第二部で示しますように、多くの先達方が命を懸けてこられた工夫によ って、「地下トンネル」の中の「中核自己に備わっている宝物」が眠ってい る鉱脈の在りかを示す地図と、その鉱脈から「宝物」を見つけ取り出し(体得し)、そしてそれらを味わい・使いこなすための技法とが、今日まで伝えられ残っているからです。  

 

繰り返しになりますが、「中核自己に備わっている宝物」の働きによって、 「自伝的自己の短所」(看守)の機能が「棚上げ」にされ、「自伝的自己の 長所」(守護者が形成されるための役割の半分を担うもの)が機能を発揮し、 そして「中核自己に備わっている宝物」と「自伝的自己の長所」との相互 補完的協働が成立し(〈ナワール〉と〈トナール〉とが真の補完者となり)、 新たな思考・行動パターンを構築していく(心が広く、理解力のある守護者 が形成される)という道筋が見えてくるのです。

上記の事柄が、「現代社会人のための禅修行階梯と人間形成」ということ の根幹の問題です。この大きな問題につきましては、いずれ改めて検討さ れます。

 

私が前稿『ガイドマップ』(Ver.3.5又は4.0)でも、今しがたも、「中核自己に備わっている(3つの)宝物」と「自伝的自己の長所」との相互補完的協働(連携)という言葉を用いましたが、この「相互補完的」という言葉はカスタネダの用語・概念から拝借したものです。    

尚 真木悠介氏はこの相互補完性について、『気流の鳴る音』の55頁で「〈ナワール〉とは、この〈トナール〉という島をとりかこむ大海であり、他者や自然や宇宙と直接に通底し「まじり合う」われわれ自身の本源性である」と、述べています。    

それに対して私の場合は、真に相互補完性たりうるものは、精錬されない生地のままの「中核自己」および「自伝的自己」ではなくて、「中核自己に備わっている宝物」と「自伝的自己の長所」としていることです。

 

又 真木悠介氏は「〈ナワール〉は大海である」と表現しているのに対して、私の方は、「中核自己」の領域とは、地上部分である「自伝的自己」によって隠されている水平線下の地下部分あるいは海の下にある岩盤部分と捉えています。

 

といいますのも、先述のように先達方の工夫によって「宝物」が眠っている鉱脈の在りかを示す地図とか、眠っている「宝物」を見つけ取り出し(体得し)、そしてそれらを「地下トンネル」内で味わい・使いこなすための技法ということを表現するためには、「中核自己」の領域を水平線下の地下部分あるいは海の下にある岩盤部分という設定の方が、適切だと考えたのです。