禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅茶な人々 シリーズ3 佐藤先生

毎週日曜配信しております禅茶ラジオですがシリーズ3作目は,初の女性ゲスト。

かつて私の茶道の師匠であった佐藤妙水先生です。

ラジオをお聞きいただくと佐藤先生のお人柄が随所に現れており,公開前にも何度も聞きなおしてますますその魅力に浸る思いでした。

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佐藤先生の禅との初遭遇は来週配信予定の第2話で出てくるのですが,ご出身の栃木県黒羽町(現大田原市)の雲巌寺の管長さまというお話でした。

雲巌寺」というキーワードに「あれ?どこかで聞いたぞ」と思いながらもしっかりと思い出せず,帰宅してから古い円覚寺の日曜説教の動画を調べてみました。

 

 

すると平成28年(2016年)1月の法話に「雲巌寺」のお話がありました。

再度その法話をお聞きしてビックリしました。

 

きっと佐藤先生が「雲巌寺の管長さま」と呼ばれている方は雲巌寺第58世住職の植木憲道老師だったと思います。

 

植木老師は長く妙心寺で修行され,雲巌寺に入られてからは修行僧だけではなく多くの人々に寺を開放し,県内各地に出向いて法話をなさるなど教育熱心な方だったそうで地元の町民からは仏様のように慕われ,尊敬されていたそうです。

そして日曜説教の最後にご紹介されたのが植木老師が97才の時に書き残された詩です。

 

「死に直面して

 

一つ,もっと親切でありたい

一つ,もっと正直でありたい

一つ,もっと真面目でありたい

一つ,もっと寛容でありたい」

 

日曜説教動画で横田管長さまも仰られてますが,97才にして生き仏のような完成された人格者であられた植木老師が死に直面して尚,このような思いがありえる凄さに身が縮まります。 

 

佐藤先生が初めて出会われた禅僧であり,小学校の入学式や卒業式での植木老師のわかりやすい法話を直にお聞きして感動されたというエピソードもインタビューの中で語られていますが,小学校の教諭を目指された遠因ともなっているように思えました。

 

そして佐藤先生が禅に出遭われたのにも雲巌寺にご縁を感じます。

と言うのも雲巌寺の開祖は「仏国国師」という方で,円覚寺の開祖「仏光国師」の一番弟子であり,そして庭園などでも有名な「無夢国師」の師家にあたる方で,その円覚寺の法脈を継がれた釈宗括老師が開かれた両忘会,そして人間禅に繋がっていると思えば佐藤先生が「禅」と出会われたのは偶然ではなく必然だったんだろうなぁと思いました。(Ym)

<禅茶な人々は下記から聴取できますのでご利用ください>