禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「調息山」登頂のためのエピローグ(11)

現代社会において、「慎独」の方々の役割はいろいろあるかと思いますが、少なくとも次の二つが挙げられるでしょう。
第一は、中核自己に基づく「自己肯定力」の育成です。
人が生きていくためには、「いきがい」とか「自己充実感」はとても重要なものです。
現代の教育界においても、幼少期の体験が本人の「自己肯定感」の形成に大きな影響力を持っていると考えられています。
確かにスポーツや芸術・芸能関係で、能力のある子供達が(家庭がある程度裕福であるという条件がありますが)成功している事例(浅田真央さん・辻井伸行さん・錦織 圭さん等)をよく見聞きします。
しかし幼少期で形成された「自己肯定感」が、小学校・中学・高校へと進んでいくにつれて、変容せざるを得ない状況に出会うのです。
「君は絵を描くのは上手だね!」とか「あなたの希望の学校に入るのに偏差値が少し足りないね!」等との言葉によって、優越感と劣等感のはざまで揺れ動きます。
更に高卒後・大学・社会人以降は、能力(知力・体力・社交力・資格等々)や家族の経済力によって生活の基盤たる収入が左右されるという現実にぶつかってしまいます。
このような社会の動きの中で、ある人は政治活動や宗教活動やボランティア活動や生涯教育に、ある人は仕事や子育てや家庭団欒に、ある人は旅行や自分の趣味の領域(バーチャルな世界も含めて)に、あるいは飲みニュケーション等に、「いきがい」や「自己充実感」を見い出すための努力をしているのです。
しかし上記のような諸活動は状況によって変化をしますし、対象の状況によっては裏切られたり幻滅したり、あるいは自分の思い通りにはいかないことも起こります。更には「生きがい」や「自己充実感」を味わえない多くの人々がいます。

このような状況を見ますと、環境の影響を受けない領域(中核自己の領域)で、「自己肯定感」や「いきがい」や「自己充実感」というよりむしろ「自己肯定力」を十分に蓄えて、「吾唯知足」の境地に達した「慎独」の方々が、周囲の人々に自分が体得した技を伝えていくことの意義は、とても大きいといえます。
第二の役割は、中核自己に基づく「感情(特に優しさ・思いやり・・・悲しみを感じる心」の育成です。

現代社会では「いじめ」や「差別」や「貧困」が深刻な問題です。
人類はこれまで、理性による教育(啓蒙)、徳目・道徳による教育、宗教教育、国家的規模による思想統制教育(ナチスドイツ・第二次世界大戦前の日本軍国主義毛沢東主導の紅衛兵革命・クメールルージュ(ポルポト派)・北朝鮮イスラム国など)などを経験してきましたが、いずれも成功していません。
それは何故なのでしょうか。
私が思いますのは、大脳辺縁系の働き 特に強いパワーを持つ「情動」に対する有効な手段を、持ち得なかったからでしょう。
先述の国家的規模による思想統制教育では、敵対者に対する憎悪という「情動」を巧みに利用してきました。
また諸宗教においては、「情動」(アントニオ・ダマシオのいう「情動」には憎悪・不安・恐怖のほか、これまで「感情」とされていた喜怒哀楽も含まれます)が利用されており、現在においても、「感情」と「情動」との使い分けができていません。
では徳目・道徳による教育はどうでしょうか。日本の文部科学省は熱心なようですが。
価値観が多様化している現代社会において、徳目に合わない行為を安易に排除しないで慎重に対応するという度量の広い態度で接してもらいたいものです。どうも過去の歴史の教訓から見ると、「徳目の推奨」→「徳目への強制」→「思想統制」へという道筋が隠れてはいないかと、つい疑ってしまうのです。
理性による教育(啓蒙)はどうでしょう。その例に相応しいかは多少疑問の残る所ですが、例を挙げてみましょう。
フィランドの教育では、学力競争に主眼を置かず、個性を伸ばし、多様な価値観を許容し、学ぶことの意味を理解させる(マインドマップ=1枚の紙の上に、表現したい概念(テーマー)をキーワードやイメージで中央に描き、そこから放射状に連想するキーワードやイメージを繋げていき、発想を広げる方法、等の利用で)ことを目的としてきた結果、世界トップレベルの学力をつけることができたのです。

また欧州連合の成立過程には、「啓蒙思想から引き継がれた市民的価値観(議会制民主主義・人権・法の支配・自由)」(フランス国際関係史やEU論専門家の上原良子氏の言葉)の影響が強く影響しており、現在の欧州連合の成果は、理性の勝利のように見えます。
フィンランドの教育や欧州連合の現状の光の部分だけを見れば、理性による教育(啓蒙)の優れた面を見ることが出来ます。しかしフィランドではいじめ等、欧州連合内では各国間の経済格差や文化・思考形態の違いや更には難民・移民問題等、理性の枠だけでは解決しそうもない問題が、浮上してきています。
以上のような社会状況において、「いじめ」や「差別」や「貧困」に対しての有効な対策はあるのでしょうか?
私にはアントニオ・ダマシオのいう「感情(特に優しさ・思いやり・・・悲しみを感じる心)」の育成こそが、これからの世界では急務のことのように思えます。(アントニオ・ダマシオのいう感情の育成は、人類史上でこれまで一度も試みられたことはないのです)
以上述べましたように祖師禅の熟達者(「磨甎」の人)でなくても、「中核自己に備わっている3つの宝物」を体得して頂いた「慎独」の方々(如来禅の体現者)が、教育、武道・スポーツ、演劇・芸術・芸能などいろいろな分野において、ご自分の体得した技(分野や状況によっては、適切に修正されたもの)を、周囲の人々に伝え且つ託していくことは、大変意義のあることだと思います。
そしてそれが「燎原の火」のように世界中に広がっていけば、大きな変革を引き起こすことになるのではないでしょうか。
学生・主婦・社会人・高齢者等の禅者に期待される役割は、これまで以上に大きくなる筈です。
そのようになることを、私は秘かに願っています。

「劫初(ごうしょ)より造り営む殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」
                            与謝野晶子