Ⅲ 聴覚と体性感覚領域における「中核自己に備わっている3つの宝物」を体得し・味わい・使いこなすこと
前項で聴覚と体性感覚領域における①「断」または「断」の機能を体得 し・味わい・使いこなすことについて説明をしました。
そして第一部(14)で、 「中核自己に備わっている宝物」の①「断」または「断」の機能を体得し・ 味わい・使いこなすことが、聴覚・体性感覚領域では、②・③A・③Bとい う「宝物」を体得し・味わい・使いこなすことへの前段階であることが示 されますと、述べました。
この点について検討してみましょう。 まず聴覚と体性感覚領域において、感覚情報を感覚の領域に止めて気付き・知覚、想起などの領域に入らないという時の脳内の状態を再掲しておきます。
以上のように聴覚および体性感覚領域における「感覚の領域に止まって、気付き・知覚、想起の領域に入らない」ということは、情報の流れを感覚の領域(「中核自己」の領域)に止めて、「自伝的自己」の領域に入らない、つまり「自伝的自己」の機能を「棚上げ」しているということです。
と同時に、ヒトが乳幼児期に機能していた回路(ヒトが成長していく過程、つまり「感覚の領域から気付き・知覚、想起の領域に入る」ことに習熟し、その速さを競う社会の中で成長していく過程では、ほとんど顧みることなく放置されていた回路)を再活用するということを修練しているのです。
そこで聴覚および体性感覚領域における乳幼児期に機能していた回路を再利用する時の脳内の状態を見てみましょう。
上記のように、乳幼児期に機能していた回路を再活用するということによって、ダマシオのいう「感情」、つまり私のいう「中核自己に備わっている3つの宝物」の②「風の感覚(音の波の感覚)・身体(外耳道の皮膚および鼓膜)が感じる軽やかさ・・・重荷からの解放感・楽しさ」、③A「身体が感じる窮屈さ(両目頭に音を聞く)・身体が感じる弱さ・・・愁い・悲しみ」、③B「身体が感じるゆとり・身体が感じる穏やかさ・・・優しさ・思いやり」を体得し・味わい・使いこなすことが可能となるのです。
ですから聴覚と体性感覚領域における「二念を継がず」という修練は、「3つの宝物」を体得し・味わい・使いこなすところまで修練に修練を積み重ねなければならないのです。このことは、単に初心者だけの問題ではなくて、上級者にとっても重要であり、禅の修行の奥義にも触れることであるということになります。
なおここで「3つの宝物」の定義の処で「・・・」と示されている意味について、ちょっと触れておきましょう。
たとえば体性感覚領域の「中核的自己に備わっている3つの宝物」の②と③Aと③Bの処をみてみましょう。
②「風の感覚・身体が感じる軽やかさ・・・重荷からの解放感・楽しさ」 ③A「身体が感じる窮屈さ・身体が感じる弱さ・・・愁い・悲しみ」 ③B「身体が感じるゆとり・身体が感じる穏やかさ・・・優しさ・思いやり」
「・・・」の前で示されている「風の感覚・身体が感じる軽やかさ」、「身体が感じる窮屈さ・身体が感じる弱さ」、「身体が感じるゆとり・身体が感じる穏やかさ」は、一次体性感覚野における「感覚」ですが、「・・・」の後で示されている「重荷からの解放感・楽しさ」、「愁い・悲しみ」、「優しさ・思いやり」は、ダマシオのいう「感情」のレベル、つまり感覚情報が 二次体性感覚野あるいは島皮質後部に到達していることを示しているので す。
そこで先ほど示しました脳内の状態に、以上のこと追加してみましょう。
聴覚領域における「感覚」から「感情」に至る時の脳内の状態
ということになります。 次に体性感覚領域における「感覚」から「感情」に至る時の脳内の状態 は、
以上の説明で、嗅覚・味覚および聴覚・体性感覚における「中核自己に備わっている3つの宝物」を体得し・味わい・使いこなすということについて、その脳科学的根拠を述べましたが、皆様には御理解頂けましたでしょうか。
なお以上の脳内における情報の流れを理解し易くするために、ブロードマン脳地図の数字の意味を参照してください。