第四章 嗅覚・味覚および聴覚・体性感覚における「中核自己に備わっている3つの宝物」を体得し・味わい・使いこなすということについて、その脳科学的根拠
禅の修行を始めたころ、先輩から「見たら 見たまま、聞いたら 聞いたまま」とか「二念を継がず」ということを指導されます。
本章では、「見たら 見たまま、聞いたら 聞いたまま」とか「二念を継がず」ということが、「中核自己に備わっている宝物」の①「断」または「断」の機能を体得し・味わい・使いこなすことであると同時に、聴覚・体性感覚領域では、②・③A・③Bという「宝物」を体得し・味わい・使いこなすことへの前段階であることが示されます。
ここでまず、「見たら 見たまま、聞いたら 聞いたまま」とか「二念を継がず」について検討する前に、通常の感覚情報の流れ(脳内の状態)を、みておきましょう。(視覚につきましては、第二部で述べられます。)
Ⅰ 通常の感覚情報の流れ
説明を理解し易くして頂くために、意味記憶によって気付く・知覚することを先にして、エピソード記憶を想起することにつきましては後に致します。
先ず嗅覚と味覚、つまり「嗅いだら 何の臭いかを気付く・知覚する」と「味わったら 何の味かを気付く・知覚する」という時の脳内の状態を見てみましょう。
上の図式で見ますように、嗅覚や味覚の感覚情報が、当該感覚野から脳 のある部位に到達したことがトリガ-(引き金)となって、意味記憶の貯蔵庫(大脳皮質側頭葉)の扉が開き、気付き・知覚の素材が当該知覚野に到達して、感覚情報とあいまって、気付き・知覚という現象が起こるのです。(感覚情報が当該感覚野から脳のある部位に到達すること、トリガーが発生すること、それによって貯蔵庫の扉が開くことを譬えていいますと、飼いならされた池の鯉が、人がある一定の距離まで近ずくと、普段の住処から集まってくるのに似ています。)
そして同様な情報の流れが、聴覚・体性感覚・視覚においてもみられるのです。
そこで「聞いたら 何の音かを気付き・知覚する」という時の脳内の状 態を見てみましょう。
「触ったら 何を触ったかを気付き・知覚する」という時の脳内の状態は、
以上「日常生活の場」であろうと「禅修行の場」であろうと、その「場」 における「自伝的自己」を支えるシステム⑤が働く場合の、感覚情報の流 れを見てみました。
次に感覚情報によって、エピソード記憶を想起することにつきましてみてみましょう。
上の図式で見ますように、嗅覚や味覚の感覚情報が、当該感覚野から脳 のある部位に到達したことがトリガ-(引き金)となって、エピソード記憶の貯蔵庫(大脳辺縁系の海馬及びその周辺)の扉が開き、想起の素材が送出され、特定の部位で想起という現象が起こるのです。
これと同様なことが、聴覚や体性感覚でも起こっています。
次に本章の中心課題の一つである「中核自己に備わっている宝物」の① 「断」または「断」の機能を体得し・味わい・使いこなすことについて見てみましょう。