禅と茶の集い

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現代社会人のための禅修行階梯 第二部(1)「地下トンネル」における基礎修練

第二部 「地下トンネル」における基礎修練

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図2で示されていますように、「現代社会人のための禅修行階梯」では、「日常生活の場」から「禅修行の場」に行くために、「日常生活 の場」の「ゲート」から、「地下トンネル」を通過して(あたかもスタジオ ジブリの諸作品で異文化の世界に繋がる「トンネル」が存在するように)、「禅修行の場」(島)の「ゲート」に至ります。この「ゲート」は、図2で示しましたように、島の八合目に位置しています。

 

「日常生活の場」から「ゲート」を通って「地下トンネル」に入って行 くためには、相当の覚悟が必要です。「自伝的自己」(特に第一章のⅣ、4 ~5頁で述べましたように、「日常生活の場」における「自伝的自己」を 支えるシステムの④「エピソード記憶を集積・上書き・保存・想起し、そ れによって自分の命・財産・名誉・家族(子孫を残すことを含めて)・郷土・ 国などを守ろうとしたり拡張増大したり、あるいは自分達の思想や教えを 保持し・強化し・拡張しようとする機能」)に安住して、「日常生活の場」 に満足している方には無理なことでしょう。

釈尊を始め先達方の伝記を紐解けばお解かりになると思いますが、「日常生活の場」から出て行くためには、「自伝的自己」を支えるシステムの②「不快、不安・恐怖・怒り・恨み・憎しみ・嘆き(あるいは快、喜び・笑い)などの情動を発現し、それと前後して自律神経症状を発現する機能」とか、場合によっては④「エピソード記憶を集積・上書き・保存し・想起し、それによって自分の命・財産・名誉・家族(子孫を残すことを含めて)・郷土・国などを守ろうとしたり拡張増大したり、あるいは自分達の思想や教えを保持し・強化し・拡張しようとする機能」に対する反発・嫌悪感等という起爆薬が必要です。  

 

そして「日常生活の場」の「ゲート」では、本来は「日常生活の場」における「自伝的自己」を支えるシステム②と④、そして⑤「意味記憶を集積し、それによって気付き・知覚・連想・思考・想像・内省・構想・企画・創造する機能」を「棚上げ」にすることが求められるのですが、初めての「ゲート」では、何が「自伝的自己」で、何が「中核自己」なのか、さらには何が「自伝的自己」を支えるシステム②・④・⑤なのかも掴めていませんので、最初からそこで「日常生活の場」の「自伝的自己」を支えるシステム②・④・⑤を「棚上げ」することは到底不可能です。  

 

ですから初めて「日常生活の場」から「禅修行の場」に行く(往路の)時には、「地下トンネル」通過中に先達方が残された地図によって鉱脈へたどり着いて、それぞれの鉱脈から「中核自己に備わっている宝物」を見つけ取り出し(体得し)、そして「地下トンネル」内でそれらを味わい・使いこなすことを修練していきます。そしてそのことによって、「禅修行の場」の「ゲート」で、「日常生活の場」の「自伝的自己」を支えるシステム②・④・⑤を「棚上げ」するのです。  このようにして「日常生活の場」における「自伝的自己」を支えるシステ ム②・④・⑤を「棚上げ」する力を養うことこそが、最初の往路の「地下ト ンネル」内での修練の目的です。

 

なお「地下トンネル」内の鉱脈の場所の地図、そして鉱脈の中から「宝物」を見つけ取り出し(体得し)、そしてそれらを味わい・使いこなすための技法は、多くの先達方が命を懸けて現代まで伝え残されてこられたものです。

第一部(10)でも述べましたように、「自伝的自己」が働き出す以前の感覚の中 の「中核自己に備わっている宝物」は2種に大別されていて、それらが眠っている鉱脈の場所は、少し違う処にあります。  

 

第1の嗅覚・味覚および聴覚・体性感覚における「中核自己に備わっている宝物」が眠っている鉱脈は、「地下トンネル」内の広範囲な処に存在しています。 

鉱脈としましては、「嗅覚と味覚の修練」、「聴覚の修練」、前稿『ガイドマップ』による「坐禅の行」、「手の形それに伴う心の有り様(印契 いんげい)の探求」、「歩行の修練」があります。  

 

これらの鉱脈から、嗅覚・味覚における「中核自己に備わっている宝物」(「断」または「断」の機能)と、聴覚・体性感覚における「中核自己に備わっている3つの宝物」を見つけ取り出し(体得し)、そしてそれらを味わい・使いこなすことを修練していきます。

 

第2の視覚における「中核自己に備わっている宝物」が眠っている鉱脈は、「禅修行の場」の「ゲート」近辺(光が少し射し込む辺りで、物を細部まで知覚できない位の光量の処。といいますのも明るい処では、物を細部まで見てしまい、つい物を気付き・知覚・認識する機能、つまり「自伝的自己」の機能が働き易くなってしまうからです。)に存在します。

 

その鉱脈とは、「自伝的自己」が働き出す以前の視覚の機能である平行視(「観の目」、大灯国師のいわれた「耳に見て」、「平行視 第三」・「平行視 第四」・「平行視 第五」)です。

そして各平行視における「中核自己に備わっている宝物」(各平行視に共通する「断」または「断」の機能と、各平行視に備わっている独自の働き)を見つけ取り出し(体得し)、それらを味わい・使いこなしていくことを修練していきます。