禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

薫風自南来「私」は回転扉 「禅と茶の集い」だより(110)

連休も終わりに近づきましたが皆さんどうお過ごしですか。
 
今日の千葉は夕方から小雨になりましたが、過ごしやすい一日でした。
 
今日は第一週なので、まずは読書会から。
「禅マインド ビギナーズマインド」の続きです。
 
今日は、「コントロール」という章を読みました。
どうやったら羊や牛をコントロールできるかという話から始まりました。
 
一番いいのは好きなようにさせること、この時に広い意味でコントロールされている。
広々とした、余裕のある草地に放すことだそうです。
 
さて、人についてはどうでしょう。
 
この先は、次回のブログで書きたいと思います。
 
 
お茶の時間では、会員の一人が最近手に入れたという掛け軸を持ってきてくれました。
 
薫風自南来です。
「くんぷうじなんらい」と棒読みします。
 
書は一休禅師によるものだそうです。(*1)
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そのまま読めば、南のほうから香の良い風が吹いてくるという意味だというのはすぐわかると思いますが、さて、禅的にはこれをどう解釈するのでしょうか。
 
久しぶりの禅語の解説ですが、いつものように「禅語の茶掛 一行物 芳賀幸四郎(*2)著」(*3)からの引用です。
 
 前略
それは畢竟するに、善・悪・利害・特質などの相対的な念慮や、なにやかやの迷いはもとより、窮屈な規範も有難そうな悟りも忘れ果てたサラリサッパリとした涼しい境涯と、その境涯から少しも力まず、あたり前のことをスラリッとあたり前に行ずることと解しておいて、大過ないであろう。(*4)
 中略 
この「薫風自南来」の清涼さを単に感覚的な清涼さにとどめないで、精神的な清涼さにまで深め、その境涯からスラスラと、運び出してこそ、まことの「清」の茶というものであろう。そしてこの清涼な境涯をすべての人びととともに分かちあい、との願いを抱き、それへ一歩でも半歩でも近づくよう、お互い力を合わせたいちかものである。
 
一気に難しくなったかもしれません。
禅語の味わいは深いですね。
 
お菓子は、黄味しぐれでした。
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来週13日は、7時から30分の座禅を2回して、8時からは禅カフェということで、近くのお店で懇談します。
 
お待ちしています。
 
 義存
 
「禅と茶の集い」について詳しくは、コチラ
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com