年度末のためか6人という少人数からの輪読会スタートとなりました。
今回は第23章「涅槃とは滝のよう」です。
実はこの章が私(Y)が一番深く心に響いた章でもあり皆さんの心にはどのように届くのかとても興味のあった個所でもあります。
今回は第23章「涅槃とは滝のよう」です。
実はこの章が私(Y)が一番深く心に響いた章でもあり皆さんの心にはどのように届くのかとても興味のあった個所でもあります。
鈴木老師がヨセミテ国立公園で見た大きな滝をテーマに命のことを語ってくださっているのですが、私の独断で要約すると以下のようになりました。
生まれる前 : 大きな川の水の一部
現 在 : 滝の水滴のひとつとなって川から離れている状態
死んだあと : 大きな川という原初に戻る(合流)
現 在 : 滝の水滴のひとつとなって川から離れている状態
死んだあと : 大きな川という原初に戻る(合流)
また老師は私たちは余りにも自分自身の個別の感情、存在に執着しすぎているとも指摘されています。
先ごろ目にとめたホームページ「 Temple いのちからはじまる話をしよう」
にも共通するような問いかけがあったのを思い出し紹介させていただきます。
---------------------------- http://temple-web.net/about.html
ほんの少しだけ、想像してみてください。
私たちひとりひとりに、個別のいのちがひとつずつ与えられているのではなく、
ただ“ひとつ”のいのちが、私たちひとりひとりを生きているのだとしたら……?
いのちは、すべての真ん中にあるもの。
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ほんの少しだけ、想像してみてください。
私たちひとりひとりに、個別のいのちがひとつずつ与えられているのではなく、
ただ“ひとつ”のいのちが、私たちひとりひとりを生きているのだとしたら……?
いのちは、すべての真ん中にあるもの。
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10年以上前にガイア思想というのがブームになったことがあり宇宙船地球号などとも言われたりしましたが、改めて命がひとつだけ、と想像するのはなかなか大変なことですよね。
輪読会の後は、実性さんのお点前で桜餅と一緒にお薄をいただき、そしてそのあとは一柱香集中して坐りました。