禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

お盆になると思い出す名作「沈黙 -サイレンス」

本日の宝樹院でのご法話の中に盂蘭盆会についてのお話がありました。

正しくは梵語で「ウランバーナ」とされ「逆さ吊りされた苦しみ」という意味があり、このような苦しみを取りのぞくためにお盆としてお寺で供養されるとのことです。

 

「逆さ吊り」と聞くと忘れられない映画があります。

遠藤周作原作の「沈黙」が,マーティン・スコセッシ監督のもと映画化され「Silence」というタイトルでアメリカに2013年上映され,日本では翌年に公開されました。

 

長崎を舞台にした潜伏キリシタンと司祭の棄教がテーマとなる小説・映画であり,拷問シーンのため日本ではR指定となったと聞いております。

その拷問の中で一番最後に主人公の司祭に棄教をさせたもっとも過酷なものが「穴吊り」とされる「逆さ吊り」でした。

 

数多くの拷問にも負けぬ心強き殉教者にも胸をうたれますが,弱き者の代表として出てくるキチジローにやはり感情移入してしまいます。

 

何度も何度も踏み絵を踏み,それでもキリスト教を棄てきれぬキチジローは司祭にこう話します。「一昔前なら俺は善きクリスチャンで死ねた。まだ迫害もなかった。なぜ今生まれた?なんて不公平なんだ。すまんと思ってますこんなに弱い人間で。」

 

でも本当にキチジローは弱い人間だったろうか?弱い人間が牢屋にはいった司祭にパードレと懺悔を求めに何度も尋ねられるだろうか?

きっと原作をお書きになった遠藤周作さんも一番描きたかったのはキチジローなんじゃないかと思ったりするくらいです。

 

映画の中では仏教,お寺は悪者扱いなので見ていて辛いし,何よりも残虐なシーンが多いので気軽にお勧めするつもりはないのですが間違いなく名作だと思っております。

お盆近くなりウランバーナを目にするたびにこの映画を思い出します。(Ym)

 


映画『沈黙-サイレンス-』本予告