禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」だより(37)  弓と禅

今日(2014年9月6日)は、夏が戻ってきたような日でコミュニティセンターにも冷房が入っていました。
 
まずは読書会から。
齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きです。
テーマは「禅」。
 
ドイツ人哲学者のヘリゲルに「弓と禅」という有名な著書があります。
そこからの引用です。
 
弓道を学んでいたヘリゲルは、師範から「的に当てるという意識ではなく、自然に正しく待つことを修得しなければなりません」との教えを受ける。
 
無理をせず、むしろ意識を的から離していくのだという。
しかし、ヘリゲルにはこの理屈がわからない。
「自分が射なければ、誰が射るのか」と師範に尋ねると、師範は「“それ”が射るのです」という。
 
その後、彼は修練を重ねました。
あるときの一射で、師は稽古を中断させて、言ったそうです。
「この射であなたは完全に自己を忘れ、無心になって一杯に引き絞り満を持していました。
その時射は熟した果物のようにあなたから落ちたのです。
さあ、なんでもなかったように稽古を続けなさい」
 
この師の言葉の中で、特に私がいいと思うのは、特に賛辞したのでもなく、最後に、「稽古を続けなさい」と言ったところです。
 
オリンピックのアーチェリーでメダルを取ったら、選手はガッツポーズで観客からは万来の拍手でしょうが、弓道ではどうも違うようです。
これで「禅」の章は終了。この本も全部読みきりました、
 
次回からの読書会では、日本人に「宗教」は要らない(ネルケ無法著)を輪読します。
 
続いてお茶の時間。今日のお茶のお点前は森本さん(有楽流)でした。
 

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掛け軸は中原南天棒の「年」という文字です。
年という文字が勢いよくかかれ、右上には「雪山六」。
左には、「少林九」という語がかかれています。
「雪山六年」は釈尊の修行時代の六年のことか、「少林九年」は達磨大師の面壁九年のことかと推察できます。
 
お菓子は栗ようかん。

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花は百日紅とすだちでした。
 

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お茶の後はいつものとおり、1炷香(45分)坐り(坐禅・座禅)しました。
 
来週は午後7時から2炷香(45分×2回)坐ります。
どうぞおいでください。お待ちしています。
 
義存 合掌