第三章 「自伝的自己」が働き出す以前の感覚の中の「中核自己に備わってい る宝物」とは
Ⅰ 「自伝的自己」が働き出す以前の感覚の功用とその限界
第一章のⅢでみましたように、「自伝的自己」は、風土・慣習・民族(部 族)・言語・文化・宗教(宗派)によって左右されますので、全てのヒトに 共有できるものではありません。(この点については、第三部 第四章のⅦの2 ジャン=ポール・サルトルの批判 を参照してください。)
それに対して、「自伝的自己」が働き出す以前の感覚は、「中核自己」の領域のことですから、風土・慣習・民族(部族)・言語・文化・宗教(宗派)・老若男女に関わらず、ヒトならばどなたにでも「備わっている」のです。これが最大の功用といえましょう。
次の功用としましては、禅修行階梯(マインド フルネスや他の瞑想法 でも同様なのですが)においては、「自伝的自己」が働き出す以前の感覚に意識的に集中しているときには、「いま・ここ」のみの働き(つまり「中核自己」の領域に入っていること)によって、「自伝的自己」は「棚上げ」されてしまうということです。 ただし「自伝的自己」が働き出す以前の感覚の功用には限界があります。
といいますのも、「自伝的自己」が働き出す以前の感覚に止まって「自伝的自己」を「棚上げ」にした状態の場合は、一時的に「自伝的自己」の発動が抑えられているだけで、「棚上げ」にされた状態が解除されれば元の状態に戻ってしまいます。
つまりこの場合には、第一章のⅥ(第一部(4))で述べました「自伝的自己の短所」の影響を排除して、新たな思考・行動パターンを構築する力はないのです。あたかも、ダムによって、下流への水の流れを一時的に止めているだけで、川の流れを変えることができないのと同様です。 マインドフルネスや他の瞑想法の限界は、この点にあります。
が、「生き馬の目を抜く」ような「日常生活の場」から離れて、一時的に「自伝的自己」の発動が抑えられることだけでも、ストレスが軽減することを実感されるでしょう。