禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」便り(310)

4月最後の定例会となりました。

本日はGW中ということもあったせいか4名の参加者で「仏教の大意」と格闘?しました。

 

ページにするとわずか1ページ余り,17行の文章ですが冒頭から躓きます。

 

普通われらの生活で気のつかぬことがあります。それは我らの世界は一つでなくて,二つの世界だということです。そしてこの二つがそのままに一つだということです。

 

4人の会員が腕組して,ときにはぼそぼそと呟くものあり,なんとなく関連してそうな話を披露するものあり,真っ向からさっぱりわからんというものありでした。

 

まるで公案修行のように大拙先生の出された公案の真意に近づくべく真剣な話もし,また脱線して世間話にもなり気がつくと19時を大幅に過ぎてしまい慌てて坐禅の支度を整えて,短めの坐禅をしました。

 

一文一文,一語一語 読んでいくとまったく理解できていないことに驚かされます。

時に理解できている部分があったとしても,説明ができないのです。

大拙先生の講義にアメリカの大学生たちが大勢集まったそうですが,英語の方がわかりやすいのかな?とまで思ってしまいます。

また日本人なので何かと仏教に先入観があるのか,まして坐禅などしているからこそ素直な気持ちで読めないのかと自問自答するばかりです。

 

こんな時に,蓮沼和尚さんがいらしたらどうお話してくれるんだろうとも思ってしまいました。

 

頭の中の???は棚上げして,短めの坐禅となりましたが,千葉市中央コミュニティは静まり返っており換気しながらも集中した坐禅となりました。

 

さあ明日から5月! 6月からの坐禅体験会にむけて頑張らねば,,,

 

円覚寺の黄梅院の掲示板)坂村真民 詩「 はや五月」
無常迅速!
この仏意を
体で知るようになった
花咲き
花散り
はや五月

来週は第一金曜なのでいつものように18時から輪読会,坐禅となります。(Ym)