禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」だより(45)  日本人の無常観

今日(2014年11月7日)は第1週なので、先週に引き続いてまずは読書会から。
ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の続きです。
 
今日読んだところで話題になったのは、
 
日本人は、仏教の説く「無常観」に深く影響されてきた。
震災など何か悪いことがあっても、「しかたがない」と受け止めている。
形あるものがなくなってしまうのが当然だと受け止めている。
日本人のこの「しかたがない」という感覚には、仏教の影響があると思う。
 
次に東日本大震災のときの日本人の対応の話があり、
 
自然災害に関して、もう少し考えてみよう。
欧米では大災害があった場合、日本人のような無常観を感じない。
天からの罰だとも思わない。
ドイツでは昨年も各地で凄まじい洪水に見舞われて、かなりの被害が出たが、天罰だという話は出なかった。
一部のキリスト教徒には終末思想があるが、あまり一般的ではない。
 
日本では、自然は管理できないとしている。
自然には勝てないと思っている人が多い。
そもそも自然は想定外のことだらけだという思いがある。
反対に、欧米では「想定外」という概念はない。
すべてが想定内だ。
その想定のとおりになるかどうかは別として、最初から想定外とは考えない。
キリスト教徒は人間が自然現象を予測し対応しなければいけないとする。
 
旧約聖書には、「人間が自然を支配して、管理しなさい」ということが書かれている。
 
と続きます。
 
う~む。聖書にそういうことが書かれていたのかというのが素直な感想でした。
これではかなり世界観が違います。
 
一方、ドイツ人から見ると、原発事故は「しかたがある」問題と考え、脱原発を決めたそうです。
 
しばらくこの話が続き、次はお茶の時間。
 
今日のお茶のお手前は森本さんでした。
 
掛け軸は、先週と同じ、耕雲庵立田英山老師の「掬水月在手 弄花香満衣」。

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お菓子は、小布施楽雁。お菓子の下に敷いてあるのはメイプルの葉だそうです。

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「掬水月在手 弄花香満衣」は、惟然さんが調べてくれました(*)
 
「水を掬(きく)すれば月手に在り、花を弄(ろう)すれば香(か)衣(え)に満つ。」
 
唐の詩人、于良史(うりょうし)の『春山夜月』
春山多勝事、賞翫夜忘歸。
水月在手、弄花香滿衣。
興來無遠近、欲去惜芳菲。
南望鳴鐘處、樓臺深翠微。
 
春山勝事多し、賞玩して夜帰るを忘る。
水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ。
興きたれば遠近無し、去らんと欲して芳菲を惜しむ。
南のかた鳴鐘の処を望めば、楼台 翠微に深し
 
水を掬えば、月は手の中にあり、
花を愛でれば、その花の香りが衣服に満ちている
この、花と月が何を指しているのか工夫のしどころでしょうか。
 
来週は、2014年11月14日、2週なので、7時から2炷香(2×45分)静坐です。
静坐(坐禅)と静坐禅の間には、真向法をやります。
段々坐り込んでくると、2炷香目の静坐がいいんですよね。
 
どうぞおいでください。お待ちしています。
 
義存 合掌