禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」だより(44) 日常生活も修行

今日(2014年10月31日)は第5週なので、まずは読書会から。
ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の続きです。
 
ネルケさんが入門したとき次のような疑問を持ったそうです。
 
 私は、禅を極めるために日本に来た。
 掃除や料理をしに日本に来たわけではない。
 仏道の修行をしに来たのに、なぜ雑用をしなければならないのか。
 
この疑問は、道元禅師が中国にわたって、老典坐と出会ったときに持った疑問を思い出させます。
師匠は、こう答えたそうです。
 
掃除をしないで、料理をしないで、何が仏道修行か。
履物をきれいに並べることも非常に大事なこと。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)、足元を見なさい。
 
いま、ネルケさんはこういいます。
 
 確かに、履物の並べ方でそんなに神経質にならなくてもいいかもしれない。
 線香の立て方が少しくらい歪んだっていい。理屈の上ではそうだ。
 しかし、今生きているその瞬間をないがしろにして、ほかに何をするのか。
 坐禅以外の日常生活も修行なのだ。
 
欧米では、自分の労働時間を一時間でいくらだと計算しているので、
「高給取りの私が、自分自身で掃除などをしたら損だ。掃除は人を雇ってさせればいい」
と考えているようで、わが子の育児や教育も、家政婦や家庭教師を雇えばいいと考えている人が多いそうです。
 
日本でもこのような考え方を持つ人が増えてきているかもしれませんが、やはり世界観が違いますね。
 
仕事についても、日本人は家に帰っても会社や仕事のことを考えてしまう。
自宅で仕事をすることもある。
休暇中でも仕事のメールをチェックする人は多い。
ドイツ人は、そのような休みが台無しになる行為は絶対にしない。
日本人は仕事と余暇の線引きが曖昧だと見られるようです。
 
お茶の時間にかけて、一人ひとり感想を述べ合いました。
 
今日のお茶のお手前は大石さんでした。 

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掛け軸は、耕雲庵立田英山老師(*1)の「掬水月在手 弄花香満衣」
お菓子の下には紅葉した葉が。もうこんな季節なんですね。

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花は、つわぶきでした。 

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お茶の後はいつものとおり、1炷香(45分)坐り(*2)ました。
 
来週は、2014年11月7日、1週なので、6時から読書会です。
その後はおいしいお茶を頂いて、静坐の時間となります。
 
どうぞおいでください。お待ちしています。
 
義存 合掌