禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

日本のお寺事情 「禅と茶の集い」だより(60)

ここ何日かは、4月の気温ということで大変過ごしやすくなりました。
 
たまたま、今日(2015年3月21日)は車が使えたのでコミュニティセンターへ車で行きました。
駐車場から会場へ向かおうとするとそこには会員の尾山さんの姿が・・・、なぜか尾山さんは平山郁夫展を見た帰りで、家に帰ろうとしたところでした。
 
尾山さんに、お茶だけでも飲んでいったらどうですかと声をかけ、一緒に会場へ向かいました。
 
今日は第3週なので、まずは読書会から。
ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の続きです。
坐禅の話とは直接関係がありませんが、ネルケさんから見た現在の日本のお寺の事情が書いてありました。
 
例えば、外国から日本に来て禅寺に行って禅の修行をしたいと言っても、ほとんどのお寺では受け入れてくれないということです。
今の日本のお寺はほとんどが家業になっていて、経営もなかなか難しいとの事。
ほとんどのお寺が本心では檀家を増やしたいと思っているようですが、実際は、過疎化や少子高齢化の影響で年々檀家が減少しているようです。
 
また、本来は出家した人が寺を継ぐということだったのが、現在では跡取り息子に寺を継がせることがほとんどで、息子は資格が取れる修行寺で1年程度の修行をした後は自分の寺に帰り寺を継ぐ。
法を受け継ぐという「嗣法(しほう)」ことに関しても、師匠と弟子が親子関係になっていることが多く、師匠が弟子に仏法を継がせる建前で父が息子に家業を任せるというパターンが多いようです。
 
ちなみに、ドイツの教会に世襲制はなく、学校の校長が引退したら自分の息子に校長になってもらうことはできないのと同じように。
神父(牧師)が引退した場合、次に誰がその教会の長となるかは全て教団の本部が決めるそうです。
 
釈尊の時代のことを考えると、そもそも釈尊はお寺を建てたということもないし檀家を持ったということもないので、時代によって仏教も随分様変わりしてきているのだと思います。
 
禅の場合、時代が変わってもその中心にあるのは坐禅をするということのはずです。
これをやらなかったらもう禅宗ではないですね。
 
コミュニティセンターの市民サークルである禅と茶の集いは、もちろん葬儀等に関わることはなく、ある意味純粋に坐禅をし、お茶を楽しむ会なので、気持ちさえあれば誰でも参加できるわけです。
 
さて、次はお茶の時間です。
 
今日のお点前は大石さんでした。
お菓子は、ねりきなこと加賀手焼きせんべいでした。
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大石さんは、会員の好みを十分わきまえてくれているので、なにも言わなくてもその人が好きな濃さでお茶を出してくれます。
これはとても有り難いことで、毎回おいしいお茶を頂くことができます。
 
お茶の後は10人で1炷香(45分)の坐禅をしました。
 
来週は、2015年3月27日。
午後7時から1炷香(45分)の坐禅をした後、太田先生による坐禅のワークショップがあります。
どうぞおいでください。お待ちしています。
 
義存 合掌