禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

まだ坐禅やってるの? 「禅と茶の集い」だより(61)

桜が咲き始めているというニュースが流れているので、もう何十年と見続けている近くの公園に桜を見に行きましたが、まだほとんど咲いていませんでした。
でも蕾はふっくらしているので、二三日中にも咲きそうです。
 
今日(2015年3月21日)は、第4週なので7時から静坐をし、その後は太田先生による坐禅のワークショップでした。
 
ワークショップは、禅と茶の集いの人気講座となっているので、これを目当てに来る人もいて、最初から12人で坐禅をしました。
やはり
人数がそろうと充実感があります。
 
ワークショップの内容は先月簡単に触れたのでまたおいおい紹介します。
今日は先日私の友人と会ったときの話です。
大学時代の友人と久しぶりに会い、ところで最近は何やってるのと聞かれました。
今年に入って中学生のときからファンだったバンドのコンサートに行ったという話をした後、まあ、相変わらず坐禅はやっていて、退職後はシンプルで質素な生活をしたいという話をしました。
 
友人の反応は、
「えぇ~、まだ坐禅やってるの?」
というものでした。
自分としてはあまりに当たり前のことだったので、友人に驚かれてこっちもびっくり。
そういえば坐禅の話なんてしていないから、そういう反応になるのかと思いました。
 
私は、正直に、
「これはもう生活するってことだから、やるとか止めるというレベルじゃないし、止める理由も見つからないからからねえ」
と答えました。
 
学生時代は、物理的にも精神的にもあっちへふらふら、こっちへふらふら。
哲学や宗教の本を読んだり、日本各地からインドまで放浪したり。
いろいろな宗教も尋ねました。
そして終始一貫、疑問に思っていたことは「私とは誰か」ということでした。
自分なりの気づきはありましたが、それを確かなものにしてくれたのは「禅」でした。
 
ですから、禅的な世界から離れてしまうということは少なくとも私にとっては有り得ないことです。
もしそうなったら、また自分を見失ってしまうわけですから。
 
それに、禅の世界はとてつもなく奥が深いのでまだ先が見えてはいません。
登山にたとえれば、1000メートル登ると、そこでしか見えない世界があり、その先には今まで見えなかった山があることが分かった、ということになるでしょうか。
 
とりあえずという言い方は変ですが、坐禅は死ぬまで続けます。
なにしろ、この道を歩くことはとても楽しいですから。
こんな話は、禅と茶の集いが終わった後ちょっと酒でも飲みながらするほうがいいですね。
 
来週の禅と茶の集いは、2015年4月3日午後6時から始まります。
6時から坐禅をした後は、7時から年に一度の総会になります。
坐禅をする方は、6時に来てください。

義存 合掌