禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅と茶の集い」だより(46)  ひと粒の米も残さず食べる精神性

今日(2014年11月21日)は第3週なので、まずは読書会から。
 
ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の続きです。

ネルケさんが住職をしている安泰寺の様子がうかがえます。
 
日本人の宗教観と食文化は表裏一体だ。神道は稲作と密接な関係がある。
禅宗も食事に関する作法を重視している。

私が住職をしている安泰寺では、自給自足の生活に挑戦している。
たんぼをつくり、畑を耕し、米やそば、野菜などを修行僧と一緒に育てている。
(中略)
土を耕すのは、自然に対する托鉢とも言える。
それらを自ら実践するということは、生かされている実感を得ることにもつながる。
食べることもただ食べるだけではなく、すべてを食べ終わったら食器にお湯を注いで、最後までそれを飲みほす。
これは、「もったいない」というモノを大事にすることでもあるが「洗鉢(せんぱつ)」という宗教的な儀式でもある。
禅の作法では、食べ終わった器を洗剤で洗わずに、湯を注いで飲みほしたら漬物または刷(せつ)という布のついた棒で器を洗い、そのままきれいにしまって、次の日またそのまま使う。
一年を通して、一度も石鹸などの洗剤を使わない。
 
この食事の作法は、禅の道場で食事をするときには毎回当然のように行われるのですが、初めて経験すると少し戸惑います。

先日(
2014年11月16日)に房総坐禅道場で一日体験教室があり、この会に来ているKさんも初めて道場での食事を体験されました。

食事の前に作法等について説明もあったようですがやはりすこし驚いたようです。
でもそれは新鮮な体験でもあったとのことでした。
食事係りの人が野菜を丁寧にこまかくきざんでくれていたのも印象的だったようです。

道場では、食事を作るのも食べるのも修行です。
坐禅以外の日常生活もすべてが修行です。
ぜひ多くの方に道場での日常を体験してもらいたいと思います。
 
次はお茶の時間。
今日はお茶係りの方が急用で来られなかったので、私がお菓子だけ買っていきました。
薯蕷(じょうよう)まんじゅうです。

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お茶は、用意ができなかったのでペットボトルの冷たいお茶。
しかし、これが侮るなかれ、なかなかおいしくてみんなびっくり。
お茶菓子一つでお茶もぐっとおいしく感じられたのかもしれません。
たまにはこういうのもいいでしょう。
 
その後はしっかり一炷香(45分)の静坐をしました。
 
来週は、第4週なので、7時から静坐をしてそのあとは太田先生(精神科医)による坐禅のワークショップです。
 
どうぞおいでください。お待ちしています。
 
義存 合掌