禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

仏教は「生きるための教え」 「禅と茶の集い」だより(55)

今日(2015年2月6日)は、予想された積雪もなかったせいか最初から10人の参加者がそろいました。
 
第1週なので、まずは読書会から。
ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の続きです。
今、仏教と言うとほとんどの人が葬式を連想するのではないでしょうか。
ネルケさんいわく、「坊主は葬式のときにしか必要とされていない」。
禅に限らず仏教を学ぼうと思っても、家の近くのお寺に行ってもなかなか学ぶことはできません。
以下、ネルケさんの現在の日本仏教に対する痛烈な批判です。
 
そもそも仏教は「生きるための教え」だったはず。
道元禅師も、親鸞聖人も、日蓮上人も、葬式法要には関心がなかった。
(中略)
人としてどう生きるべきか、社会とはどうあるべきか、を考えるのが僧侶の役割ではないのか。
その中に葬式があってもいいが、葬式ばかりに忙しく、坐禅をする暇がない、念仏をしている暇がない、というのは本末転倒だ。
 
これには全く同感です。
釈尊の生涯を振り返ってみても、葬式をしたなんてことは一度もありません。
釈尊の言葉として残っているのは、葬式など世俗に関することには出家者は関わらず、ひたすら自分の修行に励めということだったと思います。
 
この禅と茶の集いも、もちろん葬式とは一切関係はありません。
純粋に坐禅を通じて深く自分を見つめてみようという事が目的です。
会員にも利害関係が無いので仲良くできて、もう40年近く続いています。
まあ、コミュニティセンターでやっている市民サークルに葬儀を頼みに来る人はいないでしょうが(笑)。
 
次はお茶の時間です。
今日のお茶は、森本さんのお点前でした。
掛け軸は、耕雲庵立田英山老師の「如是」。

f:id:nflight2014:20190803151828j:plain


お菓子はとらやの「新緑」でした。

f:id:nflight2014:20190803151928j:plain

 
お茶の後は、会員の尾山さんや鶴岡さんが今年始めて顔を見せてくださったこともあり、充実した静坐(坐禅)ができました。
来週は、2015年2月13日。午後7時から2炷香(45分×2回)の静坐です。
 
純粋に坐禅(座禅)をしてみたい方、どうぞおいでください。お待ちしています。
 
義存 合掌