先週は、房総坐禅道場で摂心があったので、お休みでした。
読書会は一ヶ月ぶりです。
ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」の続きです。
私達は、お正月の初詣にお寺や神社に行きますが、お参りをするときに多くの人が何らかのお願いをするとおもいます。
絵馬などを見ると、病気平癒や合格祈願、宝くじが当たりますようにとか、ありとあらゆるお願い事が書かれています。
さて、これに対してネルケさんはこう言っています。
仏にも神にもどちらにも、手を合わせていいと私は思うが、問題はその対象ではない。どういう姿勢で手を合わせているかが問題である。例えば、神仏にしつこくお願いをするという姿勢に私は批判的だ。それはまるで子供が親にお願いをしているようなものだからである。
皆さんは、どう思われますか?
禅では自分の外側に神や仏を置いてそれを信じるということはありません。
ですから、神や仏に何かご利益を求めてお願いすることもありません。
自分が坐禅をして本来の面目にかえるだけです。
個人的には、自分の力ではどうしようもないことがあるとき、何か大きなものにすがりたい気持ちを持つことは十分理解できます。現世利益とは少し違いがあるかもしれませんが、例えば家族の病気が治るように祈るというのは人間らしい素直な気持ちなのではないかと思います。
ただし、ただ自分の欲望を満たすためにお願い事をするというのはどうかと思います。
ネルケさんの答えはこうです。
剣豪・宮本武蔵の「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」の真似はとてもできないかもしれない。それでも神仏に手を合わせるなら、何かお願いをするのではなく、「私らしく生きていきますので、見守ってください」、あるいは「何かお手伝いできることがあれば、私にも手伝わせてください」という態度でいてもらいたい。
これが万人に通じる正解かどうかは分かりませんが、改めて自分がどう思っているのか振り返ってみたら面白いと思います。
次は、お茶の時間です。
今日は大石さんのお手前でした。
花は、「花いかだ」と「つつじ」。
今日は参加人数が少なめだったので二服いただきました。
そのあと、初めて会を訪ねてきた方がいました。
坐禅中だったので、部屋には人がいるのかいないのか分からなかったと思いますが、部屋の入り口で「こんにちわ」と声をかけていただいたので対応できました。
この一言を発するのには、結構勇気がいるようです。来週からも続けて来たいとおっしゃっていたので、楽しみにしています。
どうぞおいでください。お待ちしています。
義存 合掌