禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

今年最後の坐禅指導

2020年忘れられない年となりました。

新型肺炎で世の中がひっくり返るのを目の当たりとし,また一医療者としてコロナ治療にも携わる一年となりほんと価値観がぐっと変わった節目と感じる日々でした。

 

そうした中,個人的に師を仰ぐ円覚寺の横田老師の最後の坐禅指導は「身心を調える坐禅」でした。

 

残念ながら10月の仏心の坐禅も11月の無字の坐禅もストリーミング配信のみで坐禅指導は5月の「初めての坐禅」しか円覚寺チャンネルにも登録されておらずとても残念ではあります。

 

しかし今年最後の12月27日に 「身心を調える坐禅」として,横田老師の最後の坐禅指導として配信をされ痛くこころにしみいりました。

 

www.engakuji.or.jp

今回は 「身心を調える坐禅」ということでテーマを掲げております。坐禅と言うのは本来は正しい智慧,すなわち悟りを求める修行であります。

それから行きますと暗に 「身心を調えるからだの調子をととのえる」と言う意味に今回は使っているのでありまして,それから申しますとそんな高尚なものでないないのであります。

しかしながらお互い現実に生きていますのはこの身体でありましてこの心でありますから,やはり体の具合が悪いと気力も湧いてきませんし,この身心を調える,からだの調子を整えていくというに主眼を置いて今日は努めたいと思うのであります。

大雑把といいますか,思い切って言いますと「健康法としての坐禅まあそう割り切っていただいても結構でございます。

今回はですね,健康法と言うと何か軽いもののように思うかもしれませんが健康と言うのは大事なものでございますので「健康法としての坐禅」というのも私はあって良いのではないかと思っておりまして,白隠禅師の話をしながらその健康法としての坐禅を皆さんと一緒に努めてみたいと思います。

 

  ・・・と言う言葉が坐禅会が始まりました。

イントロダクションにありますように白隠禅師の内観法や軟蘇の法を主体に適時,横田老師からの言葉による誘導がなされた坐禅と言うより仏教瞑想という言葉がふさわしいような温かい,そして心が弱っている方にも充分できうるような温かい慈悲の瞑想であったと思います。

坐禅といいますと会社の社長であるとか野球チームの監督であるとか社会的地位の高い人たちのためのように思う方も中にはいらしゃることと思います。

横田老師はそうした一部の方々だけでなく多くの現代人に坐禅の効用を説き,そうして仏教の入り口にいざなっておられるのだと思います。

この動画が円覚寺チャンネルに登録されずストリーミング配信だけなのがとても惜しくてならず,年末休暇を用いて禅茶ブログの最終記事として投稿させていただいております。

 

坐禅」というと高尚な東洋哲学という一面も確かにありますが,現代人のできるだけ多くに人にもその良さを伝えたいと思っている禅茶の集いとしてはこの講演は本当にありがたいものでありました。 今年一年お導きいただき本当にありがとうございました。

 

>横田管長さま 良いお年をお迎えくださり,衆集を引き続きお導きください。(Ym)

 

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