禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」便り(316)

令和3年7月9日、本日の出席者は5名。

 

本来は奇数月の第二金曜日は坐禅と懇親会だが、コロナ禍で開催自粛のため 輪読「坐禅のすすめ」と坐禅一炷香坐わる。

 

途中の雑談のなかで、躁鬱症の方を出席者全員が身の回りで見聞きしている事に驚いた。

心の病で離職したり、引きこもったり、自傷自死に至ったりする事例があるそうだ。

 

4、50年前(我々が若い時)はそんな事例はあまり知られていなかった。

(私が知らなかっただけか、マスコミが騒がなかっただけかもしれないが)

私はこういう問題こそ宗教の出番だと思う。

でも当事者にとって、教会やお寺に足を運ぶということはハードルが高いことだろう。

また、既成の宗教も含め、宗教は如何わしいという風潮が有る為、余計二の足を踏むだろう。

 

もし、悩む方から相談を受けたら、現代はネット社会なのだから、NPO法人(玉石混交だが)の相談窓口などの利用を勧めたらどうだろうか。

 

直接会わずに、気軽に相談できる。

これは当事者自身しか解決できない問題だからである。

 

最後、頭のざわめきを消して、静かに一炷香坐る。

次の懇親会の予定は9月で、是非開催できるといいなと楽しみにしている。(It)