禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

繰り返し 「禅と茶の集い」だより(130)

今日(30日)は、午後6時からの読書会で始まりました。
 
「禅マインド・ビギナーズマインド」の続きです。
今日は「繰り返し」というところを読みました。
 
坐禅の修行は繰り返しです。
毎日、毎回坐禅の実習をします。
自分の姿勢についても、特に初めのうちは正しい姿勢かどうかも分かりません。
 
当会の会長の登坂さんは、50年も柔道を続けていらっしゃいますが、柔道の稽古もとにかく基礎の繰り返しだという話がありました。
技の練習も繰り返し繰り返しているうちに、あるとき体が技を自然に覚えるのだそうです。
 
確かに、スポーツでもほかの習い事にしても繰り返しですよね。
 
最初は、つまらないしつらいと思うことでも、繰り返し練習しているうちに、それまでできなかったことができるようになるというのは、誰しもが経験していることだと思います。
 
坐禅の話をしている時、スポーツで新しい技を体得するとか、楽器がうまく弾けるようになるというような、目に見えることがあればわかりやすいのになあと思うこともあります。
 
でも、坐禅の実習はこれといったはっきりした効果がすぐに表れるとか、新しいことができるようになるとかがわかりにくい。
 
それでも、続けていると、「今日はよく坐れたなあ」と思うときがあります。
 
何をもってよく坐れたかといういうことは、経験のない人にとっては理解しがたいし本人にしかわからないことですが、続けているとだれもが経験できます。
 
そして、また続けていくとだんだん深い三昧を経験できるようになります。
 
ここまで書いて、もうこれから先はさらに言語化が不可能だと感じました。
 
鈴木老師も繰り返しの大切さを説いていますが、結局は
 
 修行はあまりにも単調だ、とあなたはいうかもしれません。繰り返し行うといういう精神を失うと、修行はとても難しくなります。しかし元気で強い気持ちがあれば難しくありません。
 
としか言っていません。
 
まあ三日坊主でもやってみて、くじけたらまたやってみてということを、まさに繰り返しながら続けてみるしかないようです。
 
このように書くと、やる気をなくす人がいるかもしれませんが、何しろ何十年も続けている人がいて、その人たちはみな楽しみを見つけることができたから続けているわけです。
 
うーむ、とりとめのない文章になってしまいました。
 
話は変わって、今日のお茶は栗田さんのお点前でした。
おはぎを食べながら、世間で話題になっている東京都の市場移転の話など、かなり政治や社会問題についての話になりました。
まあ、風流な話ではないですがたまにはこういう話題で話が盛り上がることもあります。
 
お茶の後は、坐禅の時間。
 
毎週、毎週続きます。
 
 
来週(10月7日)は、6時からの読書会から始まります。
坐禅の時間は7時半くらいからです。
途中からの参加もできます。
 
お待ちしています。
 
 
なお、10月14日は、会場のコミュニティセンターが使えませんので会はお休みとなりますのでご注意ください。
 
 義存
 
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