禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

後期の数息観 「禅と茶の集い」だより(147)

第4週の禅と茶の集いはいつもどおり7時から大広間での1柱香の坐禅から始まります。
最近参加され始めたMさんには別室で太田先生の個別指導も併せて行われておりました。
太田先生曰く新人さんだけでなく、個別面談していくよ!とのことで登頂山の何合目まで進んだかの中間審査があるようです。
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途中休憩を挟んで8時ころから登頂山の坐禅ワークショップが引き続き行われます。
三々五々に集まった10名の参加者に本日は6合目以降の後期の数息観の重点説明がなされました。
7合目の白骨の坐禅のところにかかる頃には太田先生の講義も熱が帯び、「座布団の上で死んで来い!」まで話が及んでまいります。

私は今週ちょうど、知人の通夜式、告別式に参列したばかりでしたので、そこで拝聴した修証義の一説と重なって深く聞き入った次第です。

修証義(総序)
「生を明らめ 死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり。
生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし。但(ただ)生死すなわち涅槃と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし。是(この)時初めて生死を離るる分(ぶん)あり。
唯一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし。」

「生と死」というと二元論的ですが、医療が進むとこれまでのような明確な区分けでなく脳死植物状態、そして多くの方が体験する老化なども「生」の中に部分的な「死」が内在される状態であり新しい死への恐れがでてきているようにも思います。
長生きすらリスクであると感じるような昨今、平静な心でいるにはやはり心のトレーニングは不可欠かもしれないですね。

来週3/3は第1週ですので6時からお抹茶をいただきながらの輪読会をしたあと坐禅です。
皆さんのご参加心待ちにしております。(Y)