禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅と茶の集い便り (40)  自己とは

今日(2014年9月26日)は、大変穏やかで良い一日でした。
全国的にも快晴だったようです。
この夏はあまりにも豪雨などでの災害のニュースが多かったせいか、天気予報を見ていて、穏やかな一日だったという言葉を聞くとなぜかほっとした気持ちになります。
 
今日もコミュニティセンターに着くと、5階の和室の前の廊下には人影がありました。
 
7時から9人で静坐をしました。5月の体験教室から来ているKさんは、坐禅の姿勢をものにしたようで、結跏趺坐でしっかり坐っていました。
 
45分の静坐の後は、太田先生による坐禅のワークショップです。
 

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今日は、ほとんど講義形式で、今までの話の概要をおさらいしました。
と言っても、ワークショップなので、写真のように皆が輪になって話を聞き坐禅を体験します。
 
話の根底にあるのは、脳神経科学者のアントニオ・ダマシオの説です。
人間の発達過程から見た二つの自己についての説明ですが、
 
1中核的自己とは
 
胎生期から生後18ヶ月頃までのもので、「今・ここ」のみの自己
 
要するに赤ちゃんを思い浮かべてください。
生まれたての頃は。自己ということを意識せず、言語によって世界を意識するというようなことはありません。
眠いときは眠る。おなかがすいたら泣く。ありのままの状態。過去・現在・未来という時間を考えることもありません。
 
2 自伝的自己とは
 
生後18ヶ月頃までにだんだん成立して、その後はどんどん強化されたり修正されたりしていく自己(エゴ)。自分が名前で呼ばれていることに気づき、周囲と自分が区別されていることに気づく。イメージや言語で世界を認識し、過去・現在・未来を考える。
 
要するにこれが私たちが普通に自分だと思っている自己です。
私達は、言葉を覚えることによって世界を認識し、いろいろな教育を受けることによってその言語やの社会の価値観の中で自分を作っています。
というより私たちが普通自己と言っているものはそのように作られています。
これがなければ、社会の中で生きていくことはできません。
 
最近の大脳科学では、脳のどこの部分で上記の二つの自己が作られているのかも段々分かってきているそうです。
さて、それではこんな話が坐禅とどのように関わってくるのか。
それはこれからの話とワークショップで自分の身体感覚を使って実践されていくことなので、これからのお楽しみです。
 
私なりに思っていることですが、私達の悩みや不安のほとんどは、2番目の自伝的自己によるものだということです。
過去のことを悔やんだり、未来のことを思って悩んだりするのは、この自己です。
 
太田先生いわく、二つの自己の長所短所が明らかにされようとしていく中で、この二つを相互補完的に捉え、それぞれを使いこなすことが現代を生きていく上で大事なのではないかということです。
 
次回の大田先生の禅ワークショップは、10月24日開催で、「音」を使ったワークショップになるそうです。
 
今回、初めてブログを読んだ人には、「禅と茶の集い」というけれど、脳科学の話をしているのか? と怪訝に思われたかもしれませんが、基本は坐禅の実習をし、楽しくお茶をいただく会なので安心してきてください。
太田先生の話に興味を持った方ももちろんどうぞ。
 
来週2014年10月3日は、6時から、読書会・お茶・静坐です。
なお、10月17日は、コミュニティセンター祭りの準備で部屋が使えなくなるのでお休みです。
お待ちしています。
 
義存 合掌