禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」だより(41)  14歳の選択

今日(2014年10月3日)は第一週なので、まずは読書会から。
 
前回から、ネルケ無方著の、「日本人に宗教は要らない」を読み始めました。
前回は日本人の宗教観についての話でしたが、今日はドイツと日本の宗教観や教育についての話題となりました。
 
ドイツでは宗教の授業があるそうです。
子供たちは、14歳になるまでは親の宗教に準じて授業を受けるそうですが、例えばカトリックプロテスタントでは教えが違うのでクラスも分かれて授業があるとのこと。
ちょっと日本では考えられませんね。
 
そして、14歳になると自分がどの宗教や宗派に属するか、または無宗教であるかを選択するそうです。
もちろん仏教やイスラム教を選択することも可能。
 
ここは本文を引用します。
 
無宗教を選んだ人は、宗教の授業の代わりに道徳を選ぶことになっている。しかしそれは、日本人が「私は無宗教です」という意味とは全く違う。覚悟が違う。神様の存在を否定し、無宗教で生きていくと14歳で選択することは、とても勇気がいることだ。同時に、神様は存在しないという頑なな信仰でもあるから、「無神論」という名の宗教とも言える。このようにドイツでは学校教育において子供たちは宗教について真剣に考えざるを得ない。
 
日本だったら、この選択は大人でもしないことです。
一方、ネルケさんは、日本の学校を見てこんな感想をもらします。
 
ドイツの学校では、掃除は用務員がするので、生徒も先生も一切しない。日本では、給食も部活動も学校でするし、トイレも自分達で掃除する。これは、禅の教えを実践していることなのだ。ドイツでは聖書の教えを授業で学ぶが、それが行動に反映されていない。教えを実践する機会が学校内にはまずない。
日本人にとっての宗教は、空気を吸って吐くように自然なものなのではないだろうか。宗教心があふれているからこそ、無宗教に見える。
 
世界観がこんなにも違うのかと、この本を読んで改めて感じました。
外からの目を通して自分達の国や生活のことを見ると、まったく違ったものになります。
 
この本では、これからもこんな話がたくさん出てきます。
 
続いてお茶の時間。今日のお茶のお手前は森本さんでした。
 
掛け軸は、釈宗演老師の「渓聲広長舌 山色清浄身」

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お菓子は、もみじ饅頭でした。

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語の意味については、来週触れます。
お茶の後はいつものとおり、1炷香(45分)坐りました。
 
今日は、デジカメで姿勢を直す前と直してからの写真を撮り、本人にどれほど違っているのかを確認してもらいました。
写真を見れば、一目瞭然です。
 
来週は午後7時から2炷香の静坐です。
なお、再来週の17日はコミュニティセンター祭りのため部屋が使えないのでお休みとなります。
 
どうぞおいでください。お待ちしています。
 
義存 合掌