禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

朋あり遠方より来る 「禅と茶の集い」だより(57)

今日(2015年2月21日)は、第3週で6時から読書会、お茶,静坐(坐禅・座禅)の日程でした。
私は、普段は『禅と茶の集い』は最優先の日程なのですが、今日は欠席しました。

学生時代の友人が愛媛と福井から上京し、首都圏にいる友人も集まり久しぶりに顔を合わせることになったからです。
それぞれが時々顔を合わせてはいたのですが同期の全員(と言っても5人)が集まったのは35年ぶりでした。
還暦近くになるともう亡くなった友人もいます。
もしかしたら久しぶりに顔を合わせたこの機会が最後になるかもしれないなどと言い合いながら楽しい時間を過ごしました。
 
まさに一期一会です。
久しぶりに会ったから一期一会なのではなく、本来は毎日毎日、一瞬一瞬が一期一会なのですが、なかなかそのようにはいかないのが現実かと思います。
そういう人間にとっては、久しぶりに友人と会うというのはそれを実感させるものです。
 
学生時代の友達は普通学友といいますが、私達は学友と言うのにはあまりに勉強をしなかったのでそんな言葉は当てはまらないかと思いました(笑)。
 
ところで、一緒に坐禅をした人は、道友という呼び方をします。
まさに同じ「道」を歩んだ「友」という言葉通りの友人です。
 
コミュニティセンターの『禅と茶の集い』でも30年以上一緒に坐禅をし続けた友人が何人もいます。
もちろん最近坐禅を始めた人も大切な友人となります。
 
房総坐禅道場で寝食をともにした道友も何十人もいます。
みんなかけがえのない道友です。
道友がいたから、いるからこそ坐禅を続けてこられたという実感があります。
多分自分ひとりであったらくじけていたかもしれない時でも、足が痛いのをやせ我慢して坐っている道友の姿に励まされて坐禅を続けてこられたのだと思います。
 
道場には、というより禅には世間の利害関係などは持ち込まないので純粋な気持ちで友人として付き合うことができます。
坐禅を続けるのにはどんな社会的地位も関係ないし、年齢も男女の別も関係ありません。
 
初めての人にいきなり「道」を純粋に求めるということを強要することはありませんが、その雰囲気を自然に感じ取って坐禅を続けていただければと思います。
そのためには、自分が真剣に坐禅に取り組まなければと改めて思います。
 
来週は、2015年2月27日(金)。午後7時からです。
8時からは太田先生による坐禅のワークショップもあります。
 
ご自分の都合のつく時間に来ていただいて結構です。
お待ちしています。
 
義存 合掌