禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅体験セミナー (14)  禅のある人生 質問に答えて

禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを私(義存)の責任で要約して掲載しています。
 
話題提供のあと、いろいろな質問が出ました。
質疑応答の様子をお伝えします。
 
Q:
先生は、ほんとに夫婦喧嘩をしないんですか。
うちは、ののしり合いなってしまうんですが。

A:
しませんよ。
私は合理主義者ですから、やっても意味のないことはしません。
そんなことをしても後味が悪くなるだけでしょ。
 
Q:
息を数えようと思っても、あきてきてしまい、前に坐っている人の姿勢がいいなあとか思ってしまうのですが。

A:
それは、雑念です。目もキョロキョロさせないで、自分の前方1メートルくらいのところに視線を落としてください。
 
Q:
坐禅中にいろいろなことが浮かんできます。
いっそのこと、阿弥陀様とかそういう仏様のことを思い浮かべたほうが、集中できそうなのですが。

A:
それは違います。
どんな有り難そうなものでも、息を数えること以外のことが浮かんできたら、それは雑念です。
例えば、仕事のことで「ああ、こういうアイデアがあるんだ」。
とついついメモしたくなるようなこともありますが、いいことでもそれは雑念です。
いろいろなことを、切り捨てて、自分自身を見つけていくのが禅です。                
 
Q:
目をつぶってしまうほうが集中できるような気がするのですが。

A:
目は開けておいてください。
例えば、1分や2分なら、そのほうが集中できるような気になるかもしれませんが、目をつぶったままだと必ず眠くなります。
また経験上からも、そのほうが連想したり妄想したりしやすくなります。
少し付け加えると、先ほど「莫妄想・まくもうぞう」ということを言いましたが、悩みや苦しみは、すべてこの妄想することから始まります。
例えば、もう過ぎ去ってしまった過去のことを悔やんだり、未だ来ていない未来のことについて妄想して不安になったり。
禅はいつも「今 ここ」を大切にします。
「輪廻・りんね」という言葉がありますが、あれは、人間が生まれ変わるということではなく、心が妄想によってぐるぐる回ってしまうことを指しているわけです。
 
続く
 
義存 合掌