また違う観点から禅とこころを考えてみます。
先ほどご紹介したように、うつ病や、うつ傾向、引きこもり、適応障害の現代人はふえる一方で市中のメンタルクリニックは満員御礼、初診を、申し込んでも一ヶ月以上待たされることも少なくないようです。ではこうしたクリニックではどう対応するか。
治療は大きく分けて薬物療法と精神療法つまり薬を使わない治療法に分けられます。
この精神療法は以前、カウンセリングが主体であったのですが、現在は認知行動療法と言うものが主体となっております。
たまたま毎週数時間ずつ認知行動療法のワークショップを受ける企画に参加させていただき、臨床心理の専門家とも話をしたのですが個人的にとても興味深いといいますか、感動的な気付き体験がありました。
元々、認知行動療法は認知療法と行動療法が別々に行われていた時代がありました。
次に認知行動療法として統合された時代を迎え、第三世代になるとマインドフルネスの瞑想やヨーガが取り入れられ身体をつかったエクササイズが加わるようになってきました。
余談ですがマインドフルネスというのも最近メディアで取り上げられることがあり静かなブームとなっておりますが、これのルーツは坐禅であり、仏教瞑想と言われ禅やテーラワーダ仏教から瞑想の技術的な部分のみを抽出して宗教色を排除したのがアメリカで大流行したことから普及しました。
そして現在、第四世代とも言われ始めている波はコンパッションつまり「慈悲」という概念で仏教哲学の核とも言える心理療法に近づきつつあるということです。
私としては仏教など東洋的な心理アプローチは坐禅を通じて少し理解、体験できたので、精神療法の主流である西洋的なアプローチも覗いてみたいと参加させて頂いた最新の認知行動療法が注目しているのが慈悲だったと知り本当に驚き感動さえしました。
とはいえ元々、仏教や禅というのは「心」を対象にしたものとも言え、よく医療にも例えられてきました。
抜苦与楽 心の苦しみを除き、心に安らぎを与えるともいいます。
もともと江戸時代までは医者は体の病専門で、心の病の専門家は僧侶などの宗教家であったのです。
しかし今の日本では、僧侶は葬祭や法事の専門とも言われ、セレモニーホールの日雇いスタッフにまで貶められています。
一方、欧米では逆に仏教や禅の心理療法的な側面が次第に認められはじめ、マインドフルネスを皮切りに、その先一歩進んだナイトスタンド・ブッディストという人たちも増え始めているそうです。
「ナイトスタンド・ブッディストとは、特定の仏教団体には所属せずに、自由に個人が仏教を学び実践する人達」のことで,仕事の後にナイトスタンドで仏典を読み、瞑想するということでその名で呼ばれているそうで,アメリカで増えているそうです。
ケネス田中教授の論文によると10%近いアメリカ人が仏教になにかしらの関心を抱いているとのことでした。
またこれは宗教のあり方も変化しているとの指摘もあり,宗教団体主導の宗教から、私個人主導の自分教的な信仰スタイルへ徐々に変わりつつあるというものです。
現代の戦争やテロの多くの元となっているのは宗教、宗派性の違いなどです。
仏教詩人と言われた坂村真民さんの詩に「喜び」という短い詩があります。
「信仰が 争いの種となるなら
そんな信仰なら 捨てた方がいい
大宇宙 大和楽 任せて生きる 喜びよ」
円覚寺の横田管長さまは
「どんな宗教も本来は、お互い、争わずに生きることを目指しているはずですが、教義や言葉の違いなどに執着して、本質を見失っているのが現状ではないでしょうか。宇宙とは、私たちが生かされているこの世界です。そこで和して楽しむのです。 みんな一つの同じものに統一し、それを強制するのではなく、それぞれの違いを 認め合いながら調和していく。和して同ぜずが大事であります。」と解説されています。
また今から100年ほど前の話となりますが、明治時代に若干34歳で円覚寺管長となった釈宗演老師のお言葉もご紹介したいと思います。
宗演老師は世界にZENを最初に広めた方として有名ですが、その発端はシカゴで開催された万国宗教者会議での講演だと言われています。
(参考資料:1893年シカゴ万国宗教者会議における日本仏教代表 釈宗演の演説)
宗演老師はシカゴ会議の後ルーズベルト大統領からも招かれ会談もしたのですがその際には
「仏教が欧米化し、耶蘇教が日本化、東洋化すれば世界 は平和のはじめとなるでしょう」
と仰られた、大統領も大いに賛同して喜ばれたという記録が残っています。
そしてこうした考えにも通じるのではないかと思われる活動を一つご紹介したいと思います。
8年前にあった東日本大震災、日本人なら誰もが忘れられない災害かと思います。
震災が起こったわずか1ヶ月後に鎌倉で世界でも類を見ない宗教的な奇跡が起きました。
なんと鎌倉の神道、仏教、キリスト教の3宗教合同による追悼慰霊祭が開催されたのです。
宗教者だけでその数400人、市民は1万人も参加したのです。
そしてこの活動は翌年より毎年3月11日に開催され続けており、会場は各宗教の持ち回りとして今年(※2019年)はカトリック雪ノ下教会だったそうです。
その教会の中で僧侶も神主もみなで賛美歌を唄い、祝詞をきき、お経をあげての被災者のために祈りをささげる。
真の宗教とはこうしたものではないかと思います。