禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

第24回BDKシンポジウム 仏教と緩和ケア

本日(2021.03.13)にオンラインにて仏教伝道協会主催で「仏教と緩和ケア」という講習会が開催されました。

 

有料配信だったのですが,以前このブログでもご紹介させていただいた僧侶で看護師でもある玉置妙憂さんが講師だったことあり,受講させていただきました。

 

※配信当日に知ったのですが,このセミナー参加費はすべてが東京都医師会を通じてコロナ対策に寄付されるそうです。

 

私(Ym)自身が医療関係者であり地域包括ケアシステムなど聞き覚えのある言葉でしたが玉置さんからの指摘は目からうろこでした。

この超高齢多死社会の中で地域包括ケアシステムの在宅医療主義は知っておりましたが在宅での看取り率までは考えが及びませんでした。(現在は在宅死は20%以下で伸び悩み)

 

また現代医学のおみやげ(弊害?)として

・延命至上主義

・専門分化・細分化

・死のタブー

・生と死の境の多様化・曖昧化

という4つのカテゴリーに分けて現代医療にかけている面をしっかりとご講義いただきました。

 

確かにチーム医療では患者もチームの一員とは言いながら終末期では簡単に転院や退院が本人抜きで取りざたされることもあり,そんなのはチーム員でもなんでもないと思いますね。

 

またメディアが若返り,美魔女など「頑張れば年を取らずに若返ることができる」というメッセージを過度に伝え煽っているという指摘もなるほどと思いました。

 

かつての日本は人間の死も昔は身近にあったが,現代では病院から葬儀屋から死体は送られ,中には火葬場に直送され,白い箱となって帰ってくる。

我々の日常の中から「死」が取り除かれ,病院がこれに知らず知らずのうちに加担している現状と言うのも耳が痛い限りです。

 

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後半はスピルチャルペインについての説明と,終盤は台湾の大悲学苑の活動をモデルとして日本でも大慈学苑を開設して,日本のQOD(死の質)を上げようと活動されている玉置さんに共感いたしました。

 

特にスピリチャリティの説明として

スピリチャルな蓋の閉じた小さな箱を持って生まれてきているが気がつかず日常生活している。

自分が命の限りを知った時や愛すべき人が病気や事故で失うかもしれないと思ったとき,そして災害の時 

この3つの機会にスピリチャルな小箱が開く

という言葉で語られ,実に肚に落ちました。

 

最後の質問は「医療と宗教の連携する際の問題点」みたいな質問がありましたが,妙憂さんは看護師としての立場から医療者が一番怖がる「最低限の医療知識のなさ」を挙げられ,台湾で臨床仏教宗教師の活動が成功したのは医学講座の聴講をカリキュラムにいれたことで受け入れ側の病院が安心してもらえたことだと語っておられました。 今日一回の講義ですっかり魅了され,大慈学苑に思いっきり興味を持ち始めてしまいました。(Ym)