あの地下鉄サリン事件からはや26年が経とうとしております。
オウム真理教という新興宗教というよりカルト集団が引き起こした,化学兵器テロとして有名でありますが,お若い世代の方にとっては教科書で見ましたという過去の事件となっているようでもありうすら寒い思いをすることも多くなりました。
事件前までのオウム真理教は麻原氏のTV出演なども含め,非常にメディアに取り沙汰されて賛否両論ではありましたが,「素晴らしい信仰」と称賛する人たちも少なからずおりました。
そうした中,徐々に過激化してカルト集団となり,上九一色村の一斉捜査の際は生中継を日本中の誰もがテレビ画面に釘付けになりました。
これに似た思い出は,小学生の頃に視聴覚室に集合してみた浅間山荘事件以来だったように思います。
先日,横田管長さまがご紹介された『法句経』ダンマパーダ第1句
ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。
もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。
あたかも車輪が、それを牽く牛の足に付き従うように。
邪悪の思いをもつ師に付き従えば,素直な善良な学生も「テロ行為」まで起こしてしまう実例として心に深く刻んでおかねばならないでしょう。
また行き過ぎた「宗教アレルギー」もこのオウム事件をきっかけに日本の教育機関から「宗教」が追い出されてしまい,却って「宗教免疫」のない若者たちが増えているのも現代のひとつの特徴だと思います。
しかし生きていくのは今も昔も変わらず,思い通りいかないことが沢山あり,スピリチャルな拠り所を求める気持ちは多くの人が感じていることと思います。
「寺離れ」と言われる一方で「仏教ブーム」とも言われる時代。
また「宗教嫌い」だが「スピリチャルな好奇心の高まり」をもつ時代とも言えるのかもしれません。
中には「スピルチャル」の仮面をかぶったカルト教団もあるかもしれません。
そうした教団に巻き込まれないためにも,また人類が長年かけて必要とし培ってきた「宗教」を有効に利用するためにも新しい時代の宗教リテラシィを学ぶ「真の宗教教育」が必要な時代になってきたと思います。(Ym)